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学ぶことと考えることの価値

あんたは教育制度における「試験」ってやつについての意味を考えることがあるかい?

時代の変化速度がえげつないくらいの速さになっている今の世界において、教育機関ってものがもつ価値ってのはメチャクチャむずい。
シンプルに過去の積み上げを自分の中に落とし込むって言う記憶の増大をするって仕組みとしての学校。
その記憶の増大を出来る才能を見極める試験ってシステム。

でも待てよ?
ネットによって、膨大な量の情報にアクセスすることが出来る状態になっているって前提で考えたときに、「情報を自分の中に落とし込む」価値ってのは依然として価値を維持できるのか?

今回は、学校という仕組みと試験という仕組みについて考えてみる回だ。

ちっと、今とこれからについて考えてみようぜ。

大学受験に対する不正って行為

大学受験に対する不正ってのは毎年のようにニュースになっているイメージが有る。

そのニュースについてくろまるさんが書いてくれたnoteがちっと俺の興味を刺激してくれた。
そもそも、知識を試すって行為は情報にアクセスするコストが極限にまで下がった世界では意味があるのかって話だ。


毎年のように大学受験を始めとした試験で不正が行われるのは、その試験を突破することによって何らかの権利を得ることが出来るからなんだよな。

今までは大学に行って、そこを卒業することで一定程度の処理能力を保証されていたって実績が積み上げられていたから、企業としてはその過去の成功体験に沿って学生を採用してきたし、学生もその実績という鎧をまとうべく努力してきたんだと思う。

ところがだ、AIによって俺たちは膨大な量の情報にアクセスするコストを徐々に下げつつある。

前に書いたスマートダストなんて技術が確立したらこっち、「知識」なんて情報そのものには意味がなくなる世界観が普通になる気もするんだよ。

その世界観になったときに、俺たちは何を持ってそのヒトの価値を測る指標とするんだろう?

ヒトが瞬時に情報にアクセス出来る世界における「説得」

そんな世界観になったときに、俺たちが誰かを「説得」するコストはどうなるんだろう?
きっとだけれども、指数関数的に誰かを説得するってことが難しい世界になると思うんだ。
だってそうだろう?
課題に対する正解へのプロセスの正当性を示すための客観的な情報に誰もがアクセスできる世界だ。
おそらくは、ブロックチェーン技術の浸透によって、情報の正確性ってやつについてもシステムが保証する世界観になる。

つまり「誰かがそう言っていたから」ってのが通じなくなる世界ってことだ。

俺が持っている誰かに納得してもらうための何かも、あんたが持っている誰かに納得してもらうための何かも、圧倒的な情報とそれを分析するシステムによって凌駕される世界だ。

善悪と好き嫌い

そんな世界になったら、たしかに大学受験がどうとかって話にはならない。
だって、情報はいくらでもアクセスできて、瞬時にデカルトがたどり着いた真理にふれることが出来るんだもんよ。

何かを知っている、って価値観は絶対に陳腐化するのは目に見えているわけだ。

しかもその世界を作り上げるための技術は後10年もしないで作り上げられちまう可能性があるって話だ。
エグくね?

その前提で考えると、俺たちは俺たちを形作る価値観ってやつを真剣に考える必要があると思うんだよ。

例えば、俺たちがガキンチョの頃にあった「寄らば大樹の陰」って価値観があったじゃんか。
今でもそれはあるのかもしれないけれども、ずっと大樹の陰に寄り添うことが現実解じゃないってのは明らかにある。

だとすれば、俺たちは俺たちの命を使う価値を何によって評価するのが良いのかって話だ。

豊かであること。
笑顔が日常にあること。
心安らかであること。

そのいずれもが大切な価値観だ。
そして、その価値を手に入れる方法が音を立てるように変わり続けている。

大学受験なんて画一的な方法で価値を将来的に手に入れられる時代じゃなくなってきている。
それでも俺たちは幸せを手に入れることを諦めるわけには行かない。
これから俺たちオッサンよりも長く生きなければならない若者はなおさらだ。

なあ、あんたはどう思う?

この変化が続きまくっている世界で俺たちオッサンは若者に何を伝えていけば良いんだろう?

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