ウクライナとロシアの事情
あんたもロシアとウクライナの戦争に関するニュースを眺めているかい?
あの戦争が長く続くことで、俺たちの感覚は実に摩耗してしまったように思える。
現実にウクライナのヒトもロシアのヒトも生命を失っていく毎日なのに、その生命について日々の生活で思いを馳せることはどんどん少なくなってきている。
それよりも身の回りで起きている小麦やら油やらの値段高騰についてのニュースの方が気になっているんだよな。
なんならお気に入りのコンテンツに関するニュースの方が気になることもあるはずだ。
ヒトというのは何にでも慣れるってことなんだろう。
そのことについての良し悪しを言いたいわけじゃない。
考えてみたいのは、あの戦争が止まらない理由ってやつだ。
摩耗してしまった俺の感覚は、あの戦争を止めたいという思いすら摩耗してしまったように感じるんだ。
今回はあの戦争を続けるモチベーションについて考えてみる回だ。
ちっと思い込み強めの話かもしんないけれど、付き合ってくれよ。
ウクライナ側のモチベーション
まずはウクライナ側のモチベーションがどこにあるのかを想像してみる。
これは一目瞭然ってやつだよな。
だって自国に物理的に他国の軍隊が来て戦闘行為をしているんだもん。
それに対抗するってのは国という共同体の最も根幹にある機能だもんな。
たとえ自国内のインフラを壊滅させてでも、この対抗処置は止める事ができない。
日本国内には直ちに戦闘行為を止めて、ロシアの実効支配地域を固定することによってヒトの生命を救えとかいう意見もチラホラ見える。
でもさ、そんな事したらウクライナの国体ってどうなるんだ?
だって近代のウクライナの歴史を眺めてみると、コサックという武人の共同体に根っこを持っているようにみえるんだよ。
つまり「戦ってなんぼ」の国なんだよな。
これから考えてもウクライナが自衛戦争をすることを止めるということは、自らの存在意義を否定することにもなるわけだ。
こりゃ止められんよな。
ロシア側のモチベーション
プーチンさんから発せられる情報によれば、ウクライナ東部で続いている内戦によって苦しめられているロシア系ウクライナ人を救うためってのが大義名分であったと思う。
でも実際には戦線を南部にも広げていることから、この大義名分はもはや成立していないと思うんだよね。
それでもロシア国内ではこの戦争に対する支持率は高いままらしい。
何故か?
そもそもこの支持率そのものが捏造されたものだとか、プーチンさんのプロパガンダにロシア国民はのせられてるとか、そんな感じの意見がチラホラ見える。
ただ、俺が思うにロシアのヒトたちは、もっと止むに止まれぬ事情を持っているんじゃないかって想像するんだよね。
その事情ってのがなにか?
おそらく「無秩序の回避」だと思うんだ。
1991年。
ロシアを含むソビエト連邦という国が崩壊した。
ほんの30年ちょい前の話だ。
その時にロシアを襲ったハイパーインフレを含めた無秩序と言うのは筆舌に尽くしがたい物があったと思う。
その無秩序に対する恐怖はロシアのヒトの中に確実に記憶として刷り込まれている。
そしてロシアってのはえげつなく広い。
その国土を維持するためには秩序ってのは何にも代えがたいほどの価値を持つはずだ。
そして、その秩序を維持するためには強力なリーダーシップが必要なんだよな。
たとえそれが独裁者と言われる類のリーダーシップであっても無秩序よりはマシってわけだ。
そして、そのリーダーシップが始めてしまった戦争。
たとえ、当初の大義名分が失われようとも、ロシア国内の無秩序を許す訳にはいかない。
そしてプーチンさんご自身も「なんの成果も得られませんでした!」とキース・シャーディスばりに言おうもんなら自らのリーダーシップの低下を招くことを知っている。
その先にあるのはやっぱりロシア国内の無秩序だ。
こうして考えるとロシアもこの戦争を止めたくても止められないってことになる。
エグいな。
なあ、あんたはどう思う?
ウクライナの当初国土を回復しつつ、ロシアの国内秩序を維持する魔法ってどんな物があると思う?
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