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ゲームが提供してくれる物語

あんたもゲーム実況の動画を見ていたりするかい?

俺はあんまり動画を見る生活を送ってこなかったんだけれども、どんどん環境面で動画を見る機会が増えてきてからこっち、なにげに動画を気にする生活にシフトしつつあるんだよね。

で、そんな動画の中で目につくのがゲーム実況動画ってやつだ。

結構いろいろなゲームが取り上げられてはいるものの、そのゲームの種類には結構な偏りがある。

あの偏りってなんで起きるんだろう?って素朴な疑問が浮かんだんだけれども、とあるnoteでその理由がスゴイ腹に落ちたんだ。

今回はそんな腹落ちをあんたと共有する回だ。

ゲームってエンタメの特性について、ちっと一緒に考えてみようぜ。

ゲームというエンタメ

今回、ゲームというエンタメについて考える切っ掛けをくれたnoteがあるんだよ。
それがこのnoteね。

冬木糸一さんは、SFマガジンに連載を持っている作家さんなんだそうだ。
なるほど、だからこんなにスッと入ってくる文章を書かれているんだね。

ネビュラ賞っていうSF界を代表する賞があるんだけれど、その賞の候補って書籍に限ったものじゃないんだそうだ。
#まずそこから知らなかった

で、ゲームも候補に上がることがあるってんだけれども、そこでこんなことを書いてもらっている。

2020年は久しぶりに『十三機兵防衛圏』が参考候補作に入ったが、これはなんと参考候補作に限ってみても2001年の「高機動幻想ガンパレード・マーチ」(2001年はこれが受賞)ぶりで、19年もの間、メディア部門にはゲームが「参考候補作」にすら入らなかったのである。
出典:上記note

マジか。ガンパレード・マーチがネビュラ賞の候補になってたんか。

で2020年の候補の「十三機兵防衛圏」はこんなゲームらしい。

俺は比較的ゲームを好むほうのオッサンだと思うけれども、十三機兵防衛圏は全く知らなかった。
ってか、PS4が我が家にない時点でゲーマーを名乗るなってもんなんだけれどさ。

で、このネビュラ賞にノミネートされるくらいのゲームですら俺が知らないってことがゲームっていうエンタメにおける特徴を示していると思うんだよね。

つまりゲームは作品として堪能するのにずば抜けて時間がかかるって事実だ。

物語を楽しむ手段としてのゲーム

実際、小説にしろアニメーションにせよ、その物語に浸っている時間ってのはたかが知れている。

全50話のアニメーションだってたかだか25時間程度の時間しか要しない。
1年間バッチリつかって描かれるようなアニメーションは今どきほとんどないってのが現実なのにも関わらずにだ。

小説なんて、普通に10時間もかけずに読んじまう。

それに比べてゲームは50時間。下手したら100時間かけてやることだってある。
マインクラフトみたいなゲームなら、総プレイ時間1000時間超えなんてヒトもいるんじゃないか?

このすべてのスピードが早くなっている現代に置いて、ゲームに割ける時間ってのはどんどん短くなっている。
必然的にヒトが触れることが出来るゲームの物語には限りが出てくる。

そうなってくると、物語としてのゲームについて批評を出来るくらいに多くのゲームの物語を堪能しているヒトってのは必然的に少なくなってしまうので、ネビュラ賞のような賞にノミネートされるってことそのものが少なくなるのも道理だよな。

可処分時間の奪い合いの世界でのゲーム

じゃあ、ゲームってのは物語を堪能させるためにあまりうまくない仕組みなんだろうか?

本質的には物語を楽しませるゲームはその膨大な時間を利用して、その物語に深い没入感をもたらすことが多いと思うんだ。

この没入感ってのは他のメディアではなかなか体験出来ないものだと思うんだよな。
今大人気の鬼滅の刃の映画だって、映画としては長めの2時間だったけれども、没入感って意味で行けば大作RPGのほうがあると思うんだ。

でもその没入感を得るためには莫大な時間を必要とするのも事実。

このすべてが加速している世の中でゲームで紡がれる物語は生き残っていけるんだろうか?

なあ、あんたはどう思う?

ゲームが与えてくれる物語への没入感はこれからも俺たちの周りにあり続けてくれると思うかい?

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