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平成という時代と令和というこれから

平成最後の今日。あんたはどう過ごしているんだい?

俺の家では何事もないような休日を堪能している。

それでも今日という日が、歴史の中で一つの区切りとなる事実には変わりがない。

今日はそんな歴史のいちページとなる日を考えることで、自分が歴史の中で過ごしているということの意味を考えてみる回だ。

まあ、あんたの今日という時間を少し一緒に過ごしてくれると嬉しい。

平成という時代とデフレ

平成という時代はあんたにとってどんな時代だった?

平成は1989年1月8日~2019年4月30日までの期間、実に11,069日間という期間だ。ざっくり30年と4ヶ月という長さだ。

平成元年には、様々な苦労の源「消費税」が導入されている。

この消費税ってやつが日本にもたらしたデメリットってのは枚挙にいとまがない。

そもそも消費税は導入当初社会保障と少子化対策のために用いることが前提の目的税だった。ところが2012年に法改正が行われ今ではその縛りはない。

そもそも、膨れ上がった社会保障費の財源がないからという理由で導入された消費税だが、導入されようがどうしようが、政府の都合に従って、政府の借金である国債は発行され続け、その規模は2017年には956兆2520億円にまでなっている。

そして、その国債の残高ってやつを議論することはほとんど意味がない。
国債ってやつは、政府が発行するんだが、その下部組織である日本銀行が買い取ることで、国債という借金に対する金利は事実上発生しなくなる。

結果として、国債は数字上でだけ、日本銀行の持ち物として積み上がり、それを買い取るために必要な日本円は日本銀行は好きなだけ作り出すことが出来る。

結果、日本は好きなだけ、日本円を手にすることが出来るわけだ。

2018年末日本銀行の長期国債保有額は459兆円。ざっくり国債の半分は日本銀行が持っていて、そこには金利は事実上発生しないって状態なわけだ。

世界に流通する日本円の量が増えれば、日本円の価値が下がってインフレが起きる。日本円の価値が下がるわけだから、同じものを買うのにも多くの日本円が必要になるからな。

ところが、日本はそれでもデフレに苦しみ続けた。

それは、景気が上向きかけると同時に消費税増税なんていう「インフレ対策」が着実に行われたからにほかならない。

デフレに民間企業があえいでいる中で、インフレ対策をし続けたってわけだ。

俺たちは平成という時代を「デフレ」で彩ってしまった。

結果「お金」の価値は上がり、企業は未来におけるお金の価値を貯め込むために内部留保としてお金をため続けた。

結果、俺たちの給料は上がらず、消費は落ち込み続け、モノの値段は下がり続けた。

平成という時代とゲーム

平成という時代はゲームのありようが激変した時代でもあったよな。

平成元年にでたゲーム機っていったら何だと思う?ゲームボーイだ。

翌年の1990年にはスーパーファミコン。1991年にはネオジオ。1993年には3DO、1994年にはプレイステーションとセガサターン、1996年にはNINTENDO64、1998年にはドリームキャスト、2000年にはプレイステーション2、2001年はニンテンドーゲームキューブ、2002年にXBox、2004年にPSP、2007年にPS3とWii、2008年にニンテンドーDSi、2011年にニンテンドー3DSとPSVita、2012年はWii U、2014年にPS4、そして2017年がニンテンドースイッチだ。

こうして振り返ってみると、平成って時代はコンシューマゲーム機の戦争の時代だったって言えるよな。

実際、ファミリーコンピュータから始まったコンシューマゲーム機のビジネスモデルは、携帯ゲームに戦場を移すことで、一つの時代の終わりを告げている。

すなわち、コンシューマゲーム機の発売元にお金を払ってビジネスを続けるモデルから、個人から直接課金するか広告費で売上を上げるモデルへのシフトだ

平成最後の今日の時点で、コンシューマゲーム機はまだ生き残って入るものの、このモデルシフトの流れはもう止めようもない。

それに伴って、じっくりとお金と期間を費やして物語を作り込まれたゲームってのは少なくなる傾向が見て取れる。

そのかわりに増えているのがサブスクリプション型のゲームだ。ゲーム内課金ありってやつな。

今までのように6千円近くの金額で買い切るのではなく、無料出始めて、結果的に数万円の課金をするように仕向けるタイプ。

課金が悪というわけではなく、ゲーム制作にあたって、ある程度の予算をつけて作り込んでいくというのがビッグタイトルしか出来ないようになる傾向は今後加速され、手間暇をかけて物語を作り込むゲームってのは少なくなっていくんだろう。

それがいいことなのか悪いことなのかは、後の歴史家がまとめてくれるだろう。

俺たちは、そんなゲームをどうやって楽しんでいくかを考えていけばいい。

ゲームプレイの配信をすることで生活出来てしまうような時代なんだからな。

3つの時代を駆け抜ける価値

昭和、平成、令和と3時代を俺たちオッサンは生き抜くことになりそうだ。

そのこと自体には意味はない。

意味を作るのは俺たち自身なんだからな。

さあ、明日からの令和。

俺たちは何をしていこうか?

俺たちは誰を楽しませていこうか?

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