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菅田将暉さんと小松菜奈さんの結婚

あんたも菅田将暉さんと小松菜奈さんの結婚のニュース見たかい?

もぉさ。
素直に「やった!!」って諸手を挙げてしまうくらいに嬉しい。

こんなにも素敵な二人が二人で協力しあって幸せを作り上げようと決意なさったというのは、それだけで鼻をすすってしまうくらいに嬉しい。

でだ。
なんでこんなに俺は嬉しいんだろう?って考えてみた。

もちろんお二方が幸せそうにしている様子を眺めると、それだけでほっこりする。

でも、ちょっと掘り下げて自分の感覚を眺めてみると、ちょっとどす黒い何かを感じたんだ。

今回はこのどす黒い何かについて考えてみる回だ。

ちっとダーク香坂兼人に付き合ってくれよな。

菅田将暉という才能

菅田将暉さんの持つ才能に対して疑問符を投げかけるヒトって結構レアだと思う。

俺の菅田将暉さんの最初の印象は「35歳の高校生」というドラマに出てくる生徒役としての顔だった。

その役ではクラスを支配して君臨する一人の臆病な陽キャを演じていた。

そのキャラクター設定一つとってもメチャクチャ難しいと思うじゃんか。
でも見事に菅田将暉さんはそのキャラクターを演じきり、最終的に床の間の皆さんの嫌悪感を伴いながら「やっつけられる役」としての印象を持った。

そうかと思えば「民王」ではチンピラであり総理大臣でもあるっていう、これまたわけのわからないキャラクターを演じ、これもまた見事にその心情を演じきっている。

こと演技となると菅田将暉さんの天才性ってのは眼を見張るものがあると思うんだ。

その上で、歌もヒトの心を鷲掴みにするような歌声を披露している。

もぉ、天才だ。まごうことなき天才だ。

小松菜奈という才能

小松菜奈さんの場合は自分の印象はやっぱり「バクマン」から始まっている。

原作のヒロインとはビジュアル的にジャンルの違う綺麗さだったので、「合うのかね?」ってのが見る前の率直な感想だった。

ところがいざ作品を見始めると、ヒロインの亜豆美保がたしかにそこにいた印象を受けたことを思い出す。

立ち居振る舞い。声の出し方。目線。

全て計算しつくされたであろうその演技は世界観を見事に成立させていたと思ったんだよね。

そうかと思えばUber EatsのCMでは黒柳徹子さんの存在感に負けない存在感で画面の中に存在していた。

いや、これってすごいぞ。
黒柳徹子さんとオーラで競ってるぞ。これ。

つまりは菅田将暉さんと小松菜奈さんの結婚ってのは天才同士の結婚ってことになるわけだ。

どす黒い思い

そこでふと、俺の中の思いに目を落とす。

そうすると、今の世の中では持ってはいけない期待を持っていることに気づく。

つまりは「お二人のお子さんはどんだけの天才になるんだろう」だ。

お子さんというのは非常にデリケートな話なので、そのことを口にすることそのものがタブー視されているってのが今の世の中だと思う。
その傾向そのものはある種の言葉狩りのような面がありながらも、不幸せを産みにくくなるって側面もあるので、批判されない方が良いって俺は思うんだ。

それでも思っちまっている自分がいる。
「お二人のお子さんはどんだけの天才になるんだろう」と。

お二人ともお若いので十分にお子さんが出来る可能性はあると思う。
そしてお子さんが生まれたならば、これまた諸手を挙げて「やった!」と叫ぶだろう。

なぜって?
だって、また一人天才が増える可能性ができたってことだからさ。

なに?俺にはなんにも関係ないだろって?

だってさ、このどん詰まりの世界情勢のなかで、一人でも多くの天才が増えてくれるってのはこの上なき僥倖だと思わないか?

一人でも多くの天才は、大袈裟な言い方かもしれないけれども、俺たちの子ども世代の生き残り確率を少しでも上げてくれると思うんだよ。

どうだい。このどす黒い感じ。

俺は会ったこともないヒトの天才性の遺伝子にまですがろうとしている。

俺がいなくなった世界で子どもたちの世代が生き残って欲しいと願っている。

そんな俺の自己中心的な思い。
それをこの菅田将暉さんと小松菜奈さんの結婚のニュースから感じたんだよね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは子どもたちという希望にすがることが自己中心的な考え方だって自分に言い聞かせていけるんだろうか?

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