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子ども時代の情景

あんたにも風景を写した写真に感情が動かされることってあるかい?

シンプルに美しい風景ってのはその写真を見るだけで感情が動かされることって普通にあると思うんだ。

散っていく桜。
水面に反射する夏の光。
赤という警戒色なのにも関わらずに俺たちに美しいと感じさせる紅葉。
白くおおわれた山々の荘厳さ。

その切り取られた美しさってのは俺たちを魅了してやまないわけだ。

そのなかでも俺の心をわしづかみにしちまうキーワードがある。

今回はそのキーワードについて考えながら自分の心の在りようについて考えてみる回だ。

ちっと一緒に俺たちの根っこにある感情について考えてみようぜ。

故郷という言葉

今回この事を考えてみようと思わせてもらえたnoteがあるんだ。

すずきまきさんは横浜を故郷とする写真家さんなんだそうだ。
記事に載せられている写真を眺めるにつけ、実に感情を刺激されたんだよね。

俺みたいな、ほとんどが文字での表現をしているやつにとっては、こういう問答無用で感情に影響を及ぼすことのできる写真を撮れるってのは、嫉妬以外の何者でもないって感情が出てくるわけだけれども、そんなちっちゃいおじさんの感情よりも何よりも、そもそもこの写真が持っている力ってのを感じてもらいたいわけよ。

まじでさ。
すごくね?

いや、だってだよ。
この写真とともに紡がれている文章で、俺は否応なしに俺がガキンチョの
頃を過ごした故郷のことを思い出したんだよ。

横浜とはなんも関係ない場所だし、そもそもきれいな川もなんも共通点はないかもしれない。

それでもだ。
ここに写っていない地元の商店街だったり、スーパーだったりって風景が俺のなかに浮かび上がってきたんだよ。

桜の写真。
水面の写真。
それらが、全く関係のない俺の故郷の風景を俺に思い起こさせてくれたわけだ。

故郷が俺にもたらしている涙

でね。
冷静に考えると、俺はなんで故郷のことを思い出すと涙が出てくるんだろう?って思うわけよ。

いやだってさ、故郷でそんなに辛い思いをした訳じゃなくて、きっちり育て上げてもらった土地なわけだから、悲しい感情ってのは起きないってのが普通じゃんか。

でもね。
なんかわからんけれども、自分の育った故郷のことを考えると意味もなく涙が流れてくる。
鼻がつーんってなる。

こいつはなんなんだろうな?

そう考えてみると、ひとつの言葉が出てくる。
「ありがとう」だ。

今自分がここにいるってこと

現実的に考えてみて、俺が今の生活を送れている状態を作り上げてくれたのは、俺を育て上げてくれた両親と環境に依存しているってのがあると思うんだよ。

環境もヒトもどの要素がひとつかけていても今の自分にはなれていなかった。
もっと言うなら、俺が誰かをスキになれたってことだって、俺を作り上げてくれた故郷のお陰だってことだ。

その事を考えるとだ。
故郷の風景を考えただけで、涙が出てくるってのは実のところ自然な話なのかもしれないじゃんか。

俺のことを無条件に育ててくれた両親。
叱咤激励してくれた教師の皆さん。
駆けずり回ることを許してくれた校庭。
ただ一緒に笑ってくれた友人。
おまけをしてくれた地元の商店街のヒト。
おっかないオモチャ屋の店長さん。
釣り堀にいたなにしてんだかわかんないオッサン。

おもい出せるかい?
そういうガキンチョのころの風景を。

俺はさ。
そういうガキンチョの頃の風景を思い出すと本当に意味もわからないままに涙がにじみ出てくるんだよ。

たぶん、あの頃の世界が俺を作り上げたんだって感情と、あの頃の世界には俺はもう戻ることはできないんだって感情と、俺は本当にあの頃にもらっっていた感情を今の子どもたちに与えられているのかって疑念と。

そのすべてがない交ぜになって俺に襲いかかってくるんだ。

そのことを意識してすずきまきさんの写真を改めてみてみる。

いや、ダメだこれ。
涙が止まらない。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの子どもの時代を思い出したときに、心に浮かんでくる光景がそこに見えたりしたかい?

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