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集団を選ぶための集団

あんたもなんかしらかの組織に属していると思うんだ。

それが家族って単位かもしれないし、会社って単位かもしれない。
もしかしたら友人の集まりって単位かもね。

ヒトが社会って集団を作り上げることで過酷な世界を生き延びてきたって生き物である以上、俺たちはなんかしらかの集団に属していることが自然な生き方って話になる。

ところが、この集団ってものを選択して所属する機会って、実のところメチャクチャレアなんじゃないかって思ったりするんだよね。

生まれた瞬間に属する家族って集団も、当たり前だけれども選択肢なんてものはなくて、保育園やら幼稚園、小学校、中学校と所属する組織は変わっていくけれど、その組織に属しているヒトを見極めて参加するってのもほぼ出来ない。

今回は集団に属するってことについて考える回だ。

俺らがヒトとして生きていくって現実について考えてみようぜ。

集団を選択するという行為

あんたも義務教育やらなんやらを経由して社会に出ているとすると、結構な数の集団に属してきたんだと思う。

学校のクラスもそうだし、部活もそう。
会社もそうだし、なんなら日本って国はワリカシでっかい集団だよな。

で、その集団ってやつに所属するにあたって、俺たちが何らかの意思をもって選択することって、すごく限定されてきたよな。

学校のクラスは所属してみないことにはどんなやつがそこに居るのかなんてわからないし、部活だって「サッカーをやりたい」って思って部活を選ぶことはあっても、「あの部活のヒトは素敵なヒトが多い」って思って所属することはあんましないと思うんだ。

もちろん、「安西先生」みたいなヒトがいて、そのヒトにあこがれて入るみたいなことはあるかもしれないけれど、それって「集団」を選択するってのとはちと違う気がしたんだよ。

それは会社を選択するときにも同じことが言える気がするんだよな。
起業して、自分の集団を自ら作るってことをしてない限り、すでにある集団全体を見極めるのって困難の極みだもんな。

自分の集団を作れるタイミング

そう考えてみると、集団をイチから作り上げるってのが唯一の集団を選択できる方法ってことになると思う。

その前提で整理すると、俺たちが集団を選択できるタイミングって起業とか結婚とか何らかの集まりを主催するときって感じになるよな。

つまり、自ら行動するタイミングってことになる。

そら行動をしなければ誰も何についてきたら良いのかわからないから、集団なんてデキッコナイス。
当たり前っちゃ、当たり前な話だね。

そう考えてみると、学校のクラスのような外部からの強制で作り上げられた集団に所属することは仕方ないとしても、実際に気の合う仲間で集団を作るチャンスってのはあるってことになる。

課題は、その集団の存在意義をどんだけわかりやすく共有するかってことなんだよな。
つまり今風に言うなら「パーパス」ってやつだ。

個人としての「パーパス」を考える

こうなってくると、話がとたんに難しくなる。

だって俺たちが集団を選択するためには、俺たちの存在意義を証明しなきゃならないって話だもんな。

そんなん、中学生のころから考えて、「自分の存在意義なんてものは自分には決められない」「自分の存在意義は周りのヒトが決める」って当たり前の結論にたどり着いちまっているじゃんか。

そうするとタマヒヨの話になってくる。

つまり集団を選ぶために、俺たちは集団を必要とするって話だもんよ。

なら、俺たちは集団を選び取るために基礎となる集団ってのを活用するしか無い。
つまり生まれた瞬間に所属している「家族」って集団だ。

この場合の「家族」は血族って意味じゃなくて、生活をともにしている集団って意味ね。

「家族」の持つ価値観ってのは特に意識するまでもなく、自分の個性として俺たちの中に染み付いているもんだと思う。
その価値観を土台にすることで俺たちは初めて集団を選択出来るって話なんだろう。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちの価値観と存在意義を結びつけることで集団を選び取ることが出来ると思うかい?

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