労働の意味
あんたは年末年始を楽しんでいるかい?
いよいよ2020年も年末に突入した。
2020年という年があまりにも激動の年だったので、俺たちはゆっくりと年末年始を過ごすってよりは、この先どうなっちまうんだろうって思いのほうが先に立っているような気もするよな。
2020年は働き方が強制的に改革された年だ。
このことは俺たちにとって「働く」ってことが何なのかってことを考えることを促したとも思うんだよな。
今回は今の強制働き方改革がなされた状況を踏まえて、今一度働くってことが俺たちにとって何なのかってことを考えてみる回だ。
ちっと一緒に思考の迷路をさまよってみないか?
生きる手段としての労働
まず、当たり前だけれども、俺たちは生活するために働いている。
これはその労働が楽しいとかやりがいがあるとかそう言うこととは関係がない事実だよな。
中には、もうすでに生活のための資金は入手しているにも関わらず働くヒトもいるとは思う。
ただ、それは一部のヒトに過ぎなくて、大多数の俺たちの労働の目的は、シンプルに「生きる」ってものだと思うんだ。
実際、生きるってことの価値は俺たちが言葉を話すことができるようになったときに、すでにその価値を疑うことが出来ないような状況になっていたと思う。
必然的に俺たちは生きることを諦めないってのが義務になった。
だからこそ、働く。
働くために学生時代にはスキルを磨いたし、なんなら働き続けるために社会に出てからもスキルを磨き続けている。
特に人生100年なんてのがリアルになってきている現代。
俺たちはスキルを磨き続けないと働き続けることが出来ないかもって肌で感じているよな。
働きたいという感情
でだよ。
俺たちにとって働くってのが生きるためだとしてもだ。
俺たちが働くことにそれ以外の意味ってのを欲しているってのも、また事実だと思うんだよな。
想像してみてもらいたいんだけれども、あんたに毎月衣食住を維持するのに十分な金額を毎月なんもしないでもゲットできるとするじゃんか?
流行りのベーシックインカムってやつだ。
それを手にしたら、俺たちは働くことをやめてしまうんだろうか?
働く頻度は下がるかもしれないけれども、働くことを完全にやめちゃうってのは想像しにくいんだよな。
なんだろう?
働かないことで自分の命が腐っていくって感覚があるのかもしれない。
自分が世界から切り離されていく感覚。
そのことに対する恐怖心みたいなものが、俺の中に確実にあると思うんだよな。
その意味ではボランティアのように収入につながっていない活動でもいいのかもしれない。
俺は世の中とつながっていたいって思いを抱えて生きているってことなんだろう。
自分の役割
ただ、世の中とつながっているためには、求められる役割ってやつを把握している必要があるよな。
今のあんたはどんな役割を担っているんだろうね?
この質問に答えるのってなにげに難易度が高いよな。
なんつっても、自分が「求められている」って実感を持つことそのものが難しいもんな。
在宅勤務がメインになってから、その傾向は顕著になってきていると感じるのは俺だけかな?
やっぱり対面会話でのやり取りってやつは、言葉以外の何かでお互いを必要としていることを伝える要素があると思うんだよ。
でも在宅勤務でその「言葉以外のなにか」ってやつが失われた今。
俺たちは俺たちの「役割」ってのを明確にしておく必要がある。
でなきゃ、いくら働いても世の中とつながっていたいって俺たちの願望を達成することができなくなっちまうもんな。
じゃあ、オマイはどうなんだって?
俺の場合は、多分これだ。
「揺るがない現場を支えるヒト」だ。
オッサンゆえにある程度の経験値はある。
そして、その経験値に照らした判断をしながら堅実な仕事をこなす。
そして、その堅実さってのは「経験」に裏打ちされているので、「経験」さえ積めば、その状態にはなれるって確信をみんなが持てる。
そんな仕事の土台の様な役割。
それが俺の役割なんだと思うんだよな。
なあ、あんたはどうだい?
あんたの役割って、どんなものだい?
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