ストレスと幸せと
あんたは今日もなんかのストレスにさらされているかい?
今の世の中、常にストレスフリーなんてことはありえない。仕事では締切に追われ、プライベートでも約束や予定なんてものに振り回される毎日だ。
でもさ、このストレスってやつも、もしかしたら、俺たちにとって欠かすことのできない大切なものなのかもしれないって考えたことないかい?
今回はストレスってやつが俺たちにもたらしてくれるものを考える回だ。
まあ、ちっと付き合ってくれよな?
俺たちは何にストレスを感じているのか
俺たちは実に様々なストレスを抱えて生きてきている。
それは俺たちオッサンにかかわらず、老若男女を問わず抱えている。御老体には御老体の、学生には学生のストレスってのがついて回る。
そもそも、なんでこんなにストレスが満ち溢れているのか?それから考えてみるとしよう。
ここではストレス=嫌と感じることって考えてみる。
俺たちは一体何を「嫌」と感じているんだろうな?
「明日までになんとかしないと」
「頼んでいたものと違うものが来た」
「明日の持久走の練習、いやだなぁ」
「肩が凝りすぎて、首が回らない」
などなど。
要するに「期待通りでない」ことがストレスなんだよな。
逆に捉えるのなら、「過度な期待」をしていることがストレスを生み出しているって言うことも出来るかもしれない。
だとすれば、俺たちは何故その期待ってやつをしてしまうのかってことだな。
なぜ俺たちは期待をするのか
期待通りじゃないことがストレスなんだとすれば、期待なんかしなきゃいいじゃないか。
シンプルに考えるとそうなるよな。
それでも俺たちは期待することをやめることはできないだろう。
なぜって?
俺たちは「こうなりたい」って願望から行動を起こしているからだ。
パンドラの匣から最後に出てきたもの。それが希望だってのは有名な話だが、その希望ってやつがある限り、俺たちはなにかに期待することをやめることなんてできない。
昨日よりも今日。今日よりも明日をいい日にするために俺たちは生きているんだからな。
となると、俺たちは期待することをやめることができないのなら、ストレスからも逃れることはできないのだろうか?
ストレスが俺たちにもたらしてくれるもの
結論から言えば、俺たちはストレスから逃れることは絶対にできない。
でも、ストレスは完全な悪者なんだろうか?
物事には複数の側面がある。ストレスについてもおんなじことが言える。
ストレスが全くない状態があり得たとして、そのときに何を俺たちは失ってしまうのかってものの見方でアプローチしてみよう。
例えば、ずーっと寝たままで良い状況が俺たちに与えられたとしよう。
実際には24時間寝っぱなしって訳にはいかないんだが、それができたとする。
そのときに俺たちは何を失うのか?
ズバリ「幸せを感じること」を失ってしまうだろう。
人間の感覚ってやつは割といい加減で絶対的基準に基づいた感じ方はできないようになっている。
熱い風呂に入る最初はものすごく熱く感じるが、入ったままで慣れてくると、最初のころよりは熱く感じなくなるよな?あの理屈だ。
つまり俺たちは「幸せ」を感じるために相対的に「不幸せ」を感じていないと、「幸せ」を認識することすらできないわけだ。
日々の仕事に疲れて帰ってきたからこそ、最初のビールを飲んだときに「くー!このために生きているわね」なんて葛城ミサトよろしく感じるのはそういう理屈だよな。
だから俺たちは精一杯努力して、精一杯明日に期待を込めよう。
その期待がかなったとしても、かなわなかったとしても、それは俺たちの「幸せ」につながっているんだからな。
あんたはどう思う?
俺たちは、幸せに向かって歩いているって感じられるかい?
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