見た目について語るタブー
あんたは人種差別って言葉を考えることが日常であるかい?
俺たちが住んでいる日本はアメリカのような多民族国家に比べると遥かに人種の多様性ってものが少ない状況にある。
それ故に人種差別って考え方そのものに馴染みがないんだよな。
ガキンチョのころは、それこそ外国籍のヒトがそもそもまわりに居なかったから、たまに見かける別の国のヒトを見ると「うぉ!!ガイジンだ!!」くらいに好奇の眼差しを向けたもんだったよな。
でも、今や普通に生活している中で外国籍のヒトとやりとりをするってのが起きるような状況に変化しつつある。
つまりは俺たちは人種差別って課題についてきちんと考えておく必要性に迫られているってことだよな。
今回はこの実にセンシティブな人種差別ってことについて考えてみる回だ。
答えにたどり着くかどうかわからないけれど、ちっと付き合ってくれよな。
アジアのヒトに対する差別ってニュース
今回このことを考える切っ掛けをくれたニュースがある。
アメリカのカリフォルニアの学校で先生がアジア人の見た目について言及したら人種差別発言だってんで炎上したらしい。
曰く「目尻が上がれば中国人、下がれば日本人」とした上で「真横に細い目は分からない」と言ったそうだ。
素直な感想を言うなら「そう見えるんだ。ふ~ん」くらいの感想しか持たなかったんだけれども、その発言はアメリカでは非常に差別的に捉えられたらしい。
何かで「ヒトの見た目について言及することは避けたほうがいい」って話を聞いたことがあるけれども、まさにそこなんだろうな。
俺の感覚でいくと、見た目の多様性ってのは実際に存在しているんだから、その見た目について触れないってのは健全じゃないと思うんだよな。
黒人さんにしても白人さんにしても黄色人種にしても「そうである」ってことを受け入れるってのは「そうであることに触れない」ってことが多様性を受け入れることになるってなんか違和感が無いか?
進撃の巨人に取り込まれた「多様性」
ちょっと前に放映された進撃の巨人Final Seasonのエピソードでオニャンコポンという黒人さんに「なんでオニャンコポンの肌は黒いんですか?」とサシャが尋ねるというシーンが盛り込まれていた。
黒人さんを見たことが無いパラディ島のヒトたちは自然にその疑問を持ったわけだけれども、その質問に対してオニャンコポンは「俺たちを作った奴はこう考えた。色んなやつがいたほうが面白いってな」と答えている。
これに対して、海外のヒトは非常に感じ入るところがあったようだ。
正直、原作漫画でのこのシーンは俺はすんなり読んでいて、印象に残るものじゃなかったんだよな。
「そんなん当たり前じゃんか」くらいの感覚で。
ところがアニメの該当シーンに対するリアクション動画は結構な数が上がっていて、白人さんも黒人さんも黄色人種のみなさんも結構な感想を伝えていたんだよね。
中にはサシャの質問に対して「なんか問題でもあんのか?」くらいの反応を伝えた上で、オニャンコポンの「色んなやつがいたほうが面白い」って回答で納得しているようなヒトもいた。
つまり、見た目に対して会話で触れることは本当にタブー視されているってのが今の世界の現実ってわけだ。
この見た目について語るのはどうやら褒め言葉でもダメらしい。
「スリムですね~」って褒めるにしても、そのヒトが「グラマーになりたい」って価値観を持っているかもしれないから、そう言う表現はしないほうがいいってことなんだそうだ。
でもさ、それってすごい悲しいことじゃんか?
自分の価値観と他のヒトの価値感が違うってことはわかるよ。
その上で、その価値観をやり取りしてお互いの価値観を共有してこそ、自分の価値観を広げていけるはずなのに、まるで価値観を腫れ物のように扱うしか俺たちには出来ないんだろうか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは見た目の違いというものを腫れ物として扱い続けるしか無いんだろうか?
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