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「本物」の価値ってなんだろう?

あんたは「本物」を持つってことに価値を見出すことがあるかい?

あんまり俺は美術に造詣があるわけじゃないんだけれども、ごくたまに美術館とか行って、そこにある絵画の存在感に圧倒されたりすることは確かにある。

ただ、それって多分美術館って場所が俺に与えてくれている雰囲気を含めての俺の体験ってやつだと思うんだ。
つまり、絵画単体で俺は本物を見極める事ができない。

絵画ってそれが本物であるためにはプロとしての技術が要求されるほどのもんだしね。

それでも俺たちは「本物」って存在に対して価値観を認めているってのが現実だ。

今回は「本物」ってものの価値について考える回だ。

俺たちが持っている価値観ってやつをほじくり返してみようぜ。

俺が感じている価値観

俺自身の身の回りには実に多くの製品が満ち溢れている。
その製品について、俺は例外なく何らかの価値を見出してお金を払って手に入れているってことになる。

じゃあ、その製品の中で「本物」である価値ってのはあるんだろうか?

わかりやすいところで言えば、ブランド物の製品なんてのが「本物」の価値を持っている様に思うんだけれども、俺自身はブランド物にはほぼ興味がないのでイマイチ「本物」の価値ってやつを実感できないんだよな。

例えば服なんかはユニクロとかGUとかで買うことが多いんだが、それは本物のユニクロや本物のGUが欲しくて買っているわけじゃない。

あくまで前の服、破れちゃったから買い換えなきゃ、とか、今の服毛玉だらけになっちゃったから買い換えなきゃって感じだ。

あえて言うなら、息子が描いた「本物」の絵とかには価値を見出すことはあるかな。

それ以外の製品については「性能」のほうが俺にとってでっかい価値観を持っているってことなんだろう。

NFTによって所有される物の価値

実際、この「本物」って価値観を実生活の中で感じていない俺にとっては、NFTで「本物」保証をされることで所有するって実態が出来たデジタルアートってやつについては、どうにも価値を測れない。

そのデータが世界中で唯一無二のものですよって言われても「さいですか」としか思えない感じだ。

トレーディングカードゲームで使うカードデータにNFTでの希少性を付加してやり取りされるってケースもあるらしいけれども、そのゲームが未来永劫楽しまれるとは限らないし、そもそもそのゲーム環境を提供してくれる会社が永続的にサービスを提供する保証ができない以上は、「性能」面でそのデータの価値が保証されるってわけでもない。

「性能」が保証されない以上は、ちょっと手を出しにくいって感じるわけだ。

もちろん物理的な実態を持つ製品の場合は経年劣化ってのがあるし、製品提供元の会社が永続的に存在し続けるもんでもないって意味では同じなのかもしれないけれど、それでも様々なニーズに答える性能はその時点で持っているから、まだ価値を認めやすいんだ。

データそのものが持つ価値

で、俺のこの感覚と似たような感覚を持っているヒトって結構いると思うんだよ。

でもなんでNFTアートみたいなものに巨額のお金が動いているんだろう?

おそらくだけれども、そもそもNFTアートの決済に仮想通貨が用いられているってのがポイントなんだろうな。

仮想通貨そのものの価値が乱高下してしまっているので、どうしても投機的な動機で扱うヒトがあつまってくる。
そして、仮想通貨で直接決済できるシーンってのが非常に限定的な状況だから、本来の通貨としての利用が出来にくい状態にある。

そこで仮想通貨を通貨として使用できる製品としてNFTアートが出てきたってことなんじゃないかな。

だとすると、データそのものが価値を持っているってんじゃなくて、単純にマネーゲームの一貫でしかないんだよな。

そうじゃなくするためには、データそのものの価値ってのを俺たちは発明しないといけないんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは「唯一無二」のデータにどんな価値を見つけることが出来るようになるんだろうか?

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