走りながら考える
あんたにも何か恐れていることってあるかい?
俺たちはなにかにおっかなびっくりしながら生き続けていると思うんだよね。
世の中が100%の結果を求め続けている中で、俺たちは仕事で100%の結果に近づけるために日々努力を続けていると思うんだ。
ところが、世の中には100%なんてものは存在していないのが実態で、俺たちはそのギャップを「誰が責任を取るのか」ってことでヘッジしているってのがホントのところだよな。
でもさ、ほんとに100%を目指すってのが正解なのかね?
今回はこの100%品質ってやつについて考えてみる回だ。
どうやって行けば俺たちは前に進んでいけるのか?
ちっと付き合ってくれよな。
日本と世界の比較
最近、世界の最先端都市ってどこだっけ?ってやつを調べてみたnoteを書いてみたんだよ。
この中で、中国の深センがまるで俺たちが未来都市に飛び込んだような状況になっているって話を書いたんだよね。
今や、日本の経済ってのは中国の足元にも及んでいないってのが現実なわけだ。
それどころか、2050年のGDP予測を見てみると、日本は世界で7番目にまで落ち込んじまうってことらしい。
規模で言うと中国の9分の1だ。
こんだけの差が起きる要因は山ほどあるけれど、ポイントは中国以外にもインド、インドネシア、ブラジル、メキシコにも差をつけられるって予測だってことなんじゃないかね。
インドに至っては2014年時点で抜かされちゃっているしね。
予測の数字を見ると、日本もGDPの規模は大きくなるものの、そのスピードが圧倒的に遅いってのが予測らしい。
グローバル化がもたらしたもの
実際、この差はどこから生まれるのか?
色んな要素はあると思うけれども、一つの理由として「とんがったサービスを提供できていない」ってのがあると思うんだよね。
日本がまだバブルと呼ばれる景気に支えられていた時代、俺たち日本人は携帯電話について、日本人が使いやすいようにものすごく特化した進化を遂げていたのを覚えているかい?
そう、ガラパゴス化ってやつだ。
実際、巨大な内需に支えられる形でガラパゴス化はどんどん進んで、それに伴って携帯ユーザーもものすごい勢いで伸びていたじゃんか?
ところがバブルが弾けて、日本もグローバル化の波ってやつに飲み込まれていくことになる。
世界的な標準仕様に則って、ものづくりは進むようになり、標準化とは真逆の動きであるガラパゴス化は、もはや悪とされてきていると感じるよな。
ところが、標準化された製品ってやつは、他との差別化が出来ない。
となってくると最終的には価格勝負になってしまうので、人件費の安い国に対抗できなくなってしまうってジレンマがあるよな。
そこで、日本人は「品質」ってやつを付加価値として提供するようになったんだと思うんだ。
これこれこう言うプロセスで品質を担保しているんですよ~って売り出すわけだ。
過度な品質追求がもたらす弊害
ところが、この品質ってのが曲者だ。
品質が100%でないと市場に投入できないってなると、開発にかかるコストがベラボーに膨れ上がり、なおかつ市場投入までの時間がかかるようになってしまうからね。
実際、今の世界的な動きを見ると、品質を100%に持っていってから市場投入するってのはレアだ。
Googleなんてどんだけのサービスを生み出してはやめちまっているかってのはワリカシ有名な話だもんな。
要するにサービス提供側だけの判断ではそのサービスが受け入れられるのかどうかわかんないんだから、とっとと市場に出して確かめようぜってスタイルなわけだよね。
でも、日本の文化はそれを受け入れられない。
なんつっても品質が付加価値だって世界と商売してきているんだからね。
品質8割を受け入れるために必要なもの
この事実を把握した上で、俺たちは消費者としてサービス品質が8割で提供されるって世の中をどうやったら受け入れられるのかって話になってくるよな。
何?日本人には無理じゃねって?
そうでもないと思うんだよなぁ。なんつっても日本ではGAFAの提供している「品質8割」のサービスを使いまくっているじゃんかよ。
それはなんでだ?
品質8割で突っ走っているGAFAって巨人を信用しているからだよな。
まずは俺たちは提供するサービスをどんどんガラパゴス化していく必要があると思うんだ。
つまり品質以外の付加価値をプレゼンするってことね。
そうしていかないと、俺たちはグローバル化の価格競争から逃れることが出来ないって思わないかい?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどんな付加価値を生み出すことが出来るんだろうな?
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