noteでの自分の行動の結果を眺める

あんたにとって、今年はどんな年だった?
いよいよ2021年も終わりに近づいてきている。
思う通りにできなかったことも、結果として自分にとって良かったってことも色々あったと思うんだ。

そんな色々の中で、このnoteでの活動ってのはある意味では自分の生活の中で基礎となる部分が大きい気もしている。

ふとしたきっかけで毎日更新を始めてみて、それまで漠然と感じていたことを言葉に変換するって作業が日常になって約3年。

その結果をnoteが数字にしてくれたんだよね。

今回は、この数字について思いを巡らせてみようって回だ。

まあ、あれだ。数字は数字でしか無いけれど、ちっとその数字の向こう側を覗いてみようぜ。

日々書き連ねてきたこと

実際、我ながら良く毎日飽きもせずに色んなことを書いてきたもんだとも思う。
noteの特性上、書かれている記事はオリジナリティがある程度あるってのが大前提になっているように感じるんだよね。

noteにある記事ってさ、どっかにあるもののコピペってやつはあんまないように思うじゃん?
ジャストでコピペってんじゃないのは少ないとしても、どこかの情報を焼き直したリライトってのも少ない気がするんだけれど、どうなんだろ?
あんたはどう感じてる?

で、そう言う場を使って俺自身の感覚を文章にし続けるってのは、結構エグい。
書いても何も反応してもらえないこともあるし、そうなってくると俺の感覚ってうまいこと共有出来るもんじゃないんだなぁと改めて思うわけよ。

で、当然どんな記事が読まれているんだろうってのが気になるので、ダッシュボードを分析とかもしてみた。

普通にスキと閲覧数に因果関係があると思ってたら、全然因果関係がないってのがわかったんだよね。

読まれていることと「スキ」って思えることには因果関係が俺の場合は無いらしいってのがわかったんだよね。

毎日更新の功罪

で、その分析結果を眺めてみた上で思うことがある。

毎日更新するってのは二つの側面があるってことだ。

一つは俺の思ったことをシンプルに言語化するってことを続けることによって、文章に使うべき言葉とか、自分の感覚に近い言葉を選ぶことだとか、そう言う「やり方」についてのノウハウが蓄積されるってことだ。

流石に3年前の記事を見ると、「オマイ、その言葉のチョイスおかしくね?」ってのが見られたりする。
その意味では毎日何かしらの文章を書き続けることは意味があるのかもしれない。

ただもう一つの側面もある。

伝えるための工夫ってのをこらしていく余裕がまったくないんだ。

自分が感じたことがあったとする。
その感じたことを「どうすればあんたに伝わるだろう」って考える余裕が無いんだ。

例えば、あんたがどんなことを日々考えて、どんなことを課題として認識していて、その上でどんな工夫をしているのか。
そう言うことに思いを馳せた上で、俺の感覚を言葉に変換できているわけじゃないんだ。

つまり、あんたが一番共感できる言葉ってのを考えられていないってのが現実だと思うんだ。

スキをつけてもらった確率が閲覧数に対して2.5%。
それが今の俺の文章の持っている力ってことなんだよな。

2.5%の意味

実際問題、この2.5%ってのはどういう意味を持つんだろうな?

他のヒトのダッシュボードを眺められているわけじゃないので、2.5%が相対的にどういう状況なのかってのは俺としては判断できない。

例えばダッシュボードを公開してくださっているこの御仁の場合は11%くらいになるらしい。

エグいな。
スキになる確率の桁が違う。

比べちゃうと、俺のスキを貰える率ってのは低いんだよな。

これは俺のnoteが「オモロイ」って思えてもらっている確率が低いって事実を示しているんだ。
でもだよ。
ワリカシ「オモロイ」って思って同じヒトが「スキ」をつけてくれていることもあるってのも事実だ。

だとしたら、俺が取るべき戦略ってなんなんだろうな?
あんたに「オモロイ」を届ける戦略。

なあ、あんたはどう思う?

俺はどうすればあんたのオモロイに手が届くんだ?

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