楽しみのための苦しみ
あんたは今、心地よい場所に居ることが出来ているかい?
よくコンフォートゾーンから出なけりゃいけないって物の本には書いてあったりするよな?
俺たちは知らず知らずのうちに、楽な方に流されてしまうから、今自分がたっている場所から踏む出さなきゃいけないってあれだ。
でも、改めて考えてみると、このコンフォートゾーンからなんで出て行かなきゃらならないんだろう?
今回は、このコンフォートゾーンってやつについて、改めて考えてみる回だ。
要するに俺たちにとっての幸せってやつは何かって話だな。
コンフォートゾーンってなんだ?
例によってウィキペディア先生に聞いてみよう。
コンフォートゾーン(英語:Comfort zone)とは、「快適な空間」を意味する語である。心理学などでは、ストレスや不安が無く、限りなく落ち着いた精神状態でいられる場所を指す。
出展:Wikipedia
要するに楽ちんなポイントってやつだな。
で、このコンフォートゾーン。基本的には俺たちの日常にあることが多い。なぜなら、俺たちは日々の経験で様々な事柄を特に考慮することなくこなせる状態をこなせる状態を作り上げようとするからだな。
ああすればこうなる。こうすればああなる。
だいたいのことを予測出来る状態。
それがコンフォートゾーンってわけだ。
コンフォートゾーンから出る効果
よく本に書いてあるコンフォートゾーンから出なければならない理由ってやつは何なのか?
改めて振り返ってみよう。
とあるページではこんなふうに説明してくれている。
コンフォートゾーンは、文字通り「居心地のいい場所」という意味です。結論を先に言えば、居心地のいい場所に居続けると人間は成長しません。
出展:https://globis.jp/article/1369
なるほど。俺たちは成長するために心地よい状態から抜け出さないといけないってわけだ。
居心地の良い場所には、学びの元ネタは少ないってわけだな。
ついでに言うと、俺たち人間はどうやらある程度のストレスが無いとパフォーマンスが上がらないんだそうだ。
だらけきっちまうと生産性が下がるってわけだな。
ちなみに、強すぎるストレスでも生産性は下がるらしい。その塩梅が重要なんだと。
つまり、俺たちは俺たちの知らない世界にさらされながら学んでいくように出来ているってことだ。
昇り続ける幸せと緩やかに死にゆく幸せ
で、改めて考えてみる。
俺たちは学び続ける喜びを感じているんだろうか?
それとも何の変化もない緩やかな時の中に居続けることに幸せを感じているんだろうか?
新たな学びってやつが俺たちの幸せの幅を広げてくれるってのは、多分事実だと思う。
例えば、宇宙でこんな事実が発見されていたりする。
俺みたいな宇宙フリークにすれば、こんなニュースを聞くだけでワクワクしちまうわけだが、このニュース一つとっても、きちんと理解するためには手持ちの知識だけだとどうしても足らなくなっちまう。
事象の境界の中は物理法則が成り立っていないはずなのに、2つのブラックホールはなぜにホーキング放射なんてしているんだろう?とかね。
そういう興味の拡張のためには、学びってやつがどうしてもついて回る。
勉強は勉めることを強いると書く。
大体の学びは何かを強いることで成り立っているってわけだ。
言い換えるなら、俺たちは楽しむために苦しんでいるってことだな。
でも、俺たちは苦しむのは基本的に嫌だよな。
じゃあ、俺たちは今の手の内にある興味範囲だけで生き続けることが出来るんだろうか?
昔読んだ小説を繰り返し楽しむような生き方に幸せを見いだせるんだろうか?
おそらく、出来る。ただひたすらに過去の経験から心地よいものを選択し続ける人生。
ただ、俺たちはその状態に恐怖すら覚えているんじゃないだろうか?
一切の成長もなく、過去の経験にしがみつきながら、ただひたすらに摩耗していく人生ってやつにさ。
そう考えると、俺たちは変わらない幸せで俺たちが腐っていくのを見るのが怖いから学び続けているってことになるな。
幸せなだけの状態は俺たちを腐らせる。
なんていうジレンマなんだろう。
あんたはどう思う?
俺たちは、幸せでありつづけることを恐れているらしいぜ?
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