校長先生に求めるもの
あんたは子どもの頃、校長先生とか教頭先生ってどんな存在だった?
ほぼほぼ関わり合いなんて無いえらいヒトってイメージが俺にはあるんだよね。
一回だけ校長先生と関わり合いになったのは、階段で友達とじゃれあってたときに危ないことすんな的なことで叱られたときくらいかな。
間の悪いことに、その叱られている現場を担任の先生にも見られていて、担任の先生にも叱られると言うダブルパンチを食らったんだよね。
※確か小学4年生のとき
ぶっちゃけ、それ以外の校長先生のイメージって全校朝礼で長い話をして生徒をぶっ倒すヒトくらいのイメージしかなかったんだよ。
まあ、ガキンチョにとっての校長先生なんてそんなイメージだったろ?
で、オッサンとなった今としてはだ。
子どもを学校に預ける立場になっていたり、自分自身が組織の中で立ち回る経験をしたりするわけじゃん。
そうもなってくると、校長先生や教頭先生(今は副校長って言うんだな)に対する視点が変わってくるんだよな。
今回はそんな校長先生や副校長先生に対する感覚を言語化してみようって回だ。
ちっと学校って組織を眺めてみようぜ。
校長先生の役割
まずもってだ。
校長先生って何やってるヒトだ?
何?そんなん学校全体の人事権を握ってふははは~ってしているヒトだろって?
いや、でもさ。
今どき、多くても1学年で4クラスくらいしか無くて、小学校でも6学年。
プラスアルファの人材がいたとしても30人そこそこで回しているわけだろ?
ある程度の企業で行けば部長レベルの人事権ってわけだ。
しかもお金をどうこうする権限は無いし、いわゆる経営権を持つ立場とは違うんだよな。
あれ?私立の場合はお金をどうこうすることもあるのかな?
そして基本的には子どもに直接指導することもないわけだ。
なので朝礼みたいなシーンでしかメッセージを伝えられないから話が長くなるんだもんな。
ただ、校長先生が変わったことによって生徒の雰囲気が激変するってのも現実にはあるらしい。
直接生徒に指導することなく、生徒の雰囲気を変える。
どんな魔法使ったんだ?
パルプンテ?
※高確率でダメになるやつ
桜ヶ丘中学校の奇跡
東京世田谷区に桜ヶ丘中学校って学校がある。
そこに関するニュースでこんなんがある。
この記事を読んでみると、校則をまるっとなしにして、好きな教師と会話出来るようにしたって書いてある。
その結果として元々荒れていた生徒が静まっていったんだと。
……マジか。
校長ってやろうと思えば、そんなことまで出来るのか。
ってか廊下にハンモックつるしてあんの?
自由だなあ。
とりあえず、想像でしか無いんだけれどさ。
ここまで大胆なことするのって、めちゃくちゃいろんなヒトと調整をする必要があると思うんだよな。
そもそもの現場の教師。
教育委員会のヒト。
生徒の親御さん。
生徒自身。
なんなら地域のヒトたち。
信じがたい労力が必要だと思う。
それをやろうとしたんだよな。この校長先生。
校長先生や教頭先生に求められるもの
ここまで大胆な変革まで行かなくても、校長先生によって学校の雰囲気がガラリと変わるってのはさっきも書いた通りあることらしい。
パルプンテを唱える事は出来ないけれど、なんかしたんだよな。雰囲気を変えた校長先生や教頭先生は。
たぶんだ。
対話を継続的にしたんだろうな。
この継続的にってのがポイントだと思う。
桜ヶ丘中学校の校長先生はいろんなヒトと継続的に粘り強く対話していたと思うんだ。
でなきゃ、こんな劇的な変化なんてもたらすことなんて出来なかったはずだ。
思いを持って、その思いを伝え、相手の思いを聞き取り、その思いを含めてより良い思いを作り上げ、その新たな思いをまた別のヒトに伝えていく。
まるで修行だ。
理屈でいけば、指数関数的に対話の量が増えていくやつだ。
そんなことを校長先生や教頭先生は求められているってか。
そりゃあ、学校が変わっていかないってのが道理だって話だよな。
なあ、あんたはどう思う?
教師ではない俺たちが「だがそれでも」と校長先生に期待するってのは俺たちのエゴなのか?
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