苦痛という前提
いよいよ暑い夏が来たよな。
暑がりの俺としては毎年のように「世界が俺を殺しに来ている」と思う季節なわけだが、夏が暑くないとそれを前提にしている商売が立ち行かなくなるってこともオッサンの俺たちはよく分かっているよな。
海の家は気温が上がってくれないことには商売上がったりだし、エアコンだって売れ行きが滞るってもんだ。
俺たちが生きているこの世界は、そういう前提となっている苦痛の上になり立っているってことだよな。
今回は、俺たちが当たり前に感じている苦痛について考えてみる回だ。
さて、何が出てきますことやら。
暑い夏という福音
夏が暑いってのは、ものすごく当たり前なことだと思うのだけれど、実際の所はどうなんだろう?
気象庁に聞いてみた。
ふむ、観測されているデータとして最古のものは1845年なんだね。
その1845年の8月の平均気温って言うと……なんだと?!
24.9度だと?!
なんだそりゃ!?2018年の平均気温が28.1度だから、ざっくり3度くらい上がっているようだ。
最高気温でも1845年の29.4度から2018年の32.5度とやっぱり3度くらい上がっている。
どうやら、俺たちヒトは本当に世界を作り変えてしまったらしいね。
とは言え、この暑い夏ってやつは俺たちの生活にとって大前提になってきている。
さっき触れたエアコンにせよ、海の家にせよ、暑い夏が来てくれる前提で成り立っている。
夏休みだって、暑くて勉強にならないから夏休みって概念が出てくるわけだもんな。
そう考えてみると、俺たちの生活ってやつはこの自然の動きを前提に組み立てられているってわけだ。
変わりゆく世界
でも、俺たちの生活の前提となっている世界は確実に変わってきている。
さっきの気温だってこの150年で3度も変わっているってのは驚愕の事実だよな。
変わっているのは気温だけじゃない。
俺たちが子供の頃は全人類の人口って60億って習わなかったか?
今や、その全世界の人口は70億って話らしいぞ。
ファクトフルネスって本に書いてある話だと、その70億の人々の生活も相当変わってきているらしい。
このファクトフルネスって本は結構インパクトのある情報を俺に与えてくれている。
なにしろ、世界の人々の生活は、徐々にだけれども、確実に良くなってきているってことをデータで教えてくれる。
最貧困層とされる1日に1ドル以下で生活している人々がいるんだが、その人々の中でも更に虐げられている女性たちの初等教育の受講割合ってあんたは知っているかい?
1日に1ドルも使うことが出来ないほどの最貧困層だ。さぞかし教育も悲惨な状況だと思うじゃないか?
でも、実態としては60%もの最貧困層の女性は初等教育を受けているってことらしい。
いやはや、なんとも俺たちが思っている以上に、世界は変わってきているってことなんだろうな。
ちなみに、ファクトフルネスが示してくれる俺たちが世界に対して感じている思い込みをさっぱり打ち崩してくれるクイズってのがある。
気になったようならやってみてくれよな。
ちなみに俺は12問中1問しか正解できなかった。何という思い込みだ。
去りゆく苦痛
このファクトフルネスという本が示している様に、俺たちが感じていた苦痛というのは緩和されつつあるらしい。
まあ、日本という恵まれた環境の中ではその感じている苦痛というのもたかが知れているとは思うんだけれどね。
全世界的に苦痛が和らいでいるという事実は何を意味しているんだろうか?
商売の前提が変わりつつあるってことなんだろうな。
商売ってのは基本的に苦痛を取り除くために成り立っている。
洋服一つとっても、糸を作る仕事に布を作る仕事。裁断する仕事に縫製する仕事。デザインする仕事に販売する仕事。
実に多くの仕事で成り立っている。
それもこれも「暑い夏を乗り切る服」のような苦痛を取り除くために成り立っている商売だ。
その苦痛が全世界的には取り除かれつつあるってことらしい。
では、俺たちの商売はどんどん先細りしていくってことなんだろうか?
多分違う。俺たちヒトは、新たな苦痛をどこかから見つけてくるに違いないんだから。
大切なのは、俺たちの苦痛がどこにあるのかを常に考え続けるってことなんだろうな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは、いつになったら苦痛ってものから開放されるんだろうな?
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