自責化という手段
あんたも若いときの先輩の言葉って覚えていたりするかい?
幸いにも俺はワカゾーの頃に先輩方に恵まれた会社員人生だったと思う。
実に多くの言葉をもらって、俺はすくすくと会社員として育ててもらった気がする。
俺のところに俺みたいなワカゾーが来たら、きっとそいつの可能性ってのを潰しちまったと思うし、実際潰れちまったやつもいた。
単純に俺の周りにいた先輩が優秀だったってのもあるだろうけれど、相性みたいなものもあるかもしれない。
ワカゾーの頃の俺は戦闘民族だったので、立ち向かう壁がデカいほど良かったんだと思うんだよな。
今回は、じゃあ、自分は今の若者に何の言葉を伝えていけば良いのかってのを考えてみる回だ。
まあ、オッサンの存在意義を絞り出すのに付き合ってくれよな。
物事がうまく言ってないって感じたとき
今回、仕事で俺がどんだけ優遇されていたのかってのを感じさせてくれたnoteがあるんだよ。
大変お世話になりましたのももまろさんの2022年末の記事だ。
何かを思い悩んでいらっしゃるご様子。
師走だもんなあ。仕事大変だもんなあ。
このnoteの中で、俺の記憶を刺激してくれたフレーズがあった。
これを読んでさ。
思い出したんだよ。
「仕事は自責化していかないとダメ」って先輩の言葉を。
なぜ自責化が必要なのか
俺がその自責化ってのの必要性について、今の俺が言葉にするとすれば、「原因の分析」の入口としての意味ってのがあると思う。
一旦うまく行っていないって事実を眺めてみて、その原因ってのが「自分にある」って思いこんで見る。
ただ、それだけだと精神的に凹んで終わっちまうので、そっから先のことまであるということを前提にしてみる。
そっから先ってのは「自分がどうしてたらうまく行ってたのか」ってのを考えるってことだ。
現実的には自分だけで出来ることってのには限界はある。
だからこそ、「どうやったらヒトを巻き込めたのか」って事を考える。
もうちっと言えば、その時の自分に足りていなかった要素って何なのかってことを考えるってことかな。
こう言うことを考えるにあたっては、まず自分のせいにするって感覚を身に着けておかないと、そもそも考える事が出来ないんだよね。
自分のせいにする辛さに耐える方法
と言いながら自責化ってのは実に辛い。
なんつっても、逃げ場が無くなるような、地面が消え去るような、そんな不安に襲われると思う。
そんなときに必要なもの。
それが多分、仲間なんだよな。
俺の最も尊敬する先輩は、めちゃくちゃ「人たらし」って言葉がマッチするようなヒトなんだ。
その先輩は自らの意見を持ちながら、必ず仲間の意見を引き出すことを忘れない。
それによって仲間のポテンシャルを引き出して、物事を好転させていくと言う意思みたいなものを持っているヒトなんだよね。
その結果として、多くの才能がそのヒトの元で開花していって、結果として組織が成長していく。
その先輩の行動はまさに自責化ってのが根っこにある様に見える。
そしてその様子を見た仲間たちもまた自責化をして考えていく。
あとはその繰り返しが生じていって、そこには「自律的な組織」なんてものが出来上がっていく。
想像してみ?
そこにいるほとんど全員が「俺がなんとかする」って組織。
そんなの勝つしかないじゃんか。
その昇っていく感覚。
それこそが自分のせいにする辛さに耐える方法なんじゃないかな。
なに?
うまく行ってないのに昇っていく感覚なんて持てっこないだろって?
そこは考え方をシフトするしか無い様に思うのよ。
つまり、今がマズイんだから、昇る方法さえ見つけられれば昇れることは間違いないってさ。
俺たちが進み続けるって意思を手放さない限りはね。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは「自分のせい」ってカードをすでに持てていると思うかい?
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