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祈り

テモテヘの第一の手紙 2:1
そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。

「ささげなさい」と4つのことが勧められています。すべて、神様に語りかけること。宙に向かってではありません。私たちの心を知っていて、私たちの声を聞いてくれている神様に、語りかけます。

その最初は「願いをささげる」ことで、これはどんな宗教でも共通することでしょう。それとは別に「祈りをささげなさい」と続きます。願うこととは別なのです。え?なにそれ?

願いが何でも聞き届けられるのではないことは、私たちは薄々感じています。かなったらラッキー、ということなのでしょうか。こんな聖句もあります。

ヨハネの第一の手紙 5:14-15
わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。
そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである。

最初の段階では、ともかく願いを伝えるのですが、そこどまりではないんですね。「神の御旨に従って願い求める」ランクアップが求められているのです。どうやって神の御旨を知る?神の言葉、聖書を読むことで、です。

聖書を読むのは、神様との対話。心を通わせるのは、言葉を通じて、です。神様の心を知るには、神様の言葉を読む他に方法はありません。「祈り」は、このプロセスのことなのです。聖書を読んで、神様と対話すること。

自分勝手な瞑想、でもなく、修行、でもなく、神様とのおしゃべり。一方的に話しかけて、全然話を聞かないのは、あまりに失礼、だと思いません?



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