はじロー(32)一人の人によって…
はじめて読むローマ人への手紙5章18‐19節
一人の人によって…
5章12節で、パウロが一度口ごもって、止まっていた文章。
そこからちょっとした説明が加えられた後で、また動き出します。一人の人によって罪が世界に入ったのと同様に、一人の人によって義が入りなおす。一人の人によって死が入ったのでしたが、今度は一人の人によって、いのちが与えられる。
罪が入った時と、義が入りなおす時とで、大きく違う点もありました。
一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入った結果、すべての人が罪を犯すことになり、死がすべての人に広がったのでしたが、一人の義の行為によっていのちが世界に入った結果、すでに世界にいる多くの人が自動的に義の行為を行うことができるようになっていのちが広がった…というのではありませんでした。
でも、「一人の人によって」という点では、まさにその通りなのです。
世界中でただ一人、歴史上でただ一人、この人によってのみ、罪人であった多くの人が義とされ、「死」に支配されていたのに「いのち」にあずかることになるのです。
ユダヤ人にとっても、またギリシャ人にとっても。もちろん、日本人にとっても、です。
繰り返しになりますが、「死」とは、単に、いずれ肉体が死を迎えてちりになる、というだけではなく、また、いずれたましいも世の終わりには永遠の死を迎えることになる、というのでもありません。今、神と共に生きることが全くできなくなっている状態、神から完全に隔絶した状態にあることを「死」と言い表しているのです。
逆に、「いのち」とは、今、神と共に生きることができるいのちを指します。その大前提が、神との平和でした。
私たちが神と共に今を生きることができるために、なによりも、この一人の人によってなされたことを、自分自身で明確に受け止めることが大切だ、とパウロは念を押して言っているのです。
この一人の人とは、もちろん、イエス・キリストです。ダビデの子孫として2000年前にイスラエルに生まれた人です。人類の歴史の中で、ただこの一人の人によって、神のいのちを得させる義が私たちに与えられているのです。
日本からしたら、イスラエルは遠い外国。しかも、今から2000年も前の人。
でも、世界中のどこの国の人であっても、どんな民族であっても、そしていつの人であっても、この宇宙を創造した神と平和を得て、神のいのちに生きることができるようになるのは、この一人の人によるしかないのです。
ローマ人への手紙5章18-19節
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