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知らないコイツ(短編小説)

僕の部屋に知らない奴が寝転がり始めて、もう3年が経つ。3年が経つと、最早知らない奴なのかどうかもよく分からない。悔しいが、ここ3年で1番言葉を交わしたのはコイツだ。けれど、コイツが何者なのかも僕は知らない。

「新連載、面白い?」

「んー、まあ、何というか、パンチが効いてないね。悪くはないんだけどさ。けど、単行本を買うには至らない感じかなあ。」

コイツは漫画が好きで、部屋に転がっているジャンプやらサンデーやらを勝手に読んでいる。だから僕たちの会話はもっぱら漫画についてだ。コイツはずっと漫画を読んでいるので、物凄い審美眼がある。だから僕は、コイツが面白いと言った漫画しか読まない。漫画に関しては、そのくらい信用している。その他の会話と言えば、テレビの話と天気の話くらいだ。テレビに関しても同じで、コイツが面白いと言った番組を見る。天気に関しては窓の外を見て感想を述べるだけだ。コイツは飯も食わないし眠らないので、そのくらいしか共有できる事がない。

「そうそう、今日でお前が来て3年目らしいよ。昨日、日記を読み返していたら、3年前の今日にやって来たと書いてあった。」

「ふうん。やって来た、ねえ。ところでその前の日はなんて書いてあった?」

「ええと、酷く落ち込んでいたようだったよ。けれど、殴り書きでちゃんと読めなかったから、飛ばしちゃったんだよね。」

「そうか。」

「うん。」

僕らは沈黙に戻った。コイツがいる事は、今となっては普通の事だ。気まずくもないし、気を使う事もない。屁をこいても恥ずかしくないし、映画を見て泣く姿を見られても何とも思わない。ただ、コイツの事を家族だとは思えなかった。ただそこにいる奴、としか思えない。

「雨の日に、」

「え?」

僕は驚いた。コイツが急に話しかけて来た事にではない。コイツの目が、刃のように鋭くなっている事に驚いた。僕はコイツの言葉に真剣に耳を傾ける事にした。何かが起こるかもしれない。そんな予感がした。

「雨の日に、傘が一本しかないのに、お前と誰かが外に出なきゃいけないのなら、お前は傘を使うか?傘を譲るか?」

「そうだな…。」

僕は返答に困った。コイツに何かを試されているような気がした。答えを間違えれば、殺されるような感覚。この嫌な心臓の高鳴りは、経験した事があるような気がしていた。それがいつだったかは、思い出せないが。

「ほら、早く答えろよ。傘を使うのはお前か?誰かさんか?」

「…間違えたらどうなるんだ?」

「間違いなんかねえよ。敢えて言うなら、決めない事が間違いだ。だからとっとと決めろよ。お前が決めろよ。助けは来ないぜ?」

僕は迷った。というか、考えがまとまらなくてイライラした。いっそ、コイツがチンタラしている僕に失望してこの時間を終わらせてくれないか、とも思った。けれど、コイツは鋭い目でこちらを見てくるだけだ。コイツの言った通り、助けは来ない。僕は考える。考えて、答えを出す。

「僕が使う。傘は僕が使う。」

「その心は?」

「僕が傘を使って外に出て、待ってる誰かのために傘を買ってくる。これでいいだろ?」

「なんでもいいさ。てめえが答えを出せるようになったんならな。ま、俺はてめえだから同じ事かも知れないけれど。自分で出せるっていう実感が大切だわな。」

その瞬間、僕は眩暈に襲われ、その場で倒れてしまった。目覚めた時には、コイツはいなかった。

その後、僕は3年前の日記を読み返した。コイツが来る前の日に書かれた事をなんとか読んだ。どうやら、道端で倒れた人に対してAEDを使えずに後悔していたらしい。AEDが見当たらずオロオロしている内にその人は亡くなったらしい。コイツは、何も選べなかった俺のために現れたという事だろう。俺が何かを選べるようになるまで、そばにいてくれたという事だろう。

コイツが漫画を読んでくれなくなったので、僕はジャンプやサンデー全てに目を通している。面白くない作品もたくさんある。けれど、全て見ると決めたのは僕だ。選べる人生の方が、よっぽど気持ちがいい。

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