2023年10月1日 人間扱い

ついに10月。あと3ヶ月で2023年が終了するの、信じられないな。

遅く起きて洗濯。洗濯物を干そうとベランダに出たら、涼しさに驚いた。昨日は30℃くらいあったのに、今日は27℃。唐突に秋が来た。空気の匂いが秋である。

とはいえ蚊が増えている。蚊って暑い時期よりちょっと涼しい日の方が増えるの?!

ほんとうにね。あとカメムシも増えている。今日は服にカメムシがくっついてきて焦った。ボケカス。

今日はほぼ1日かけてジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(新潮文庫)を読んだ。ここ数年注目が集まるイギリスのミステリ作家の、初のノンシリーズ作品。

作中に著者が登場人物の一人として登場するメタフィクション。まえがき(これも小説の一部だが)にある、第二版という体裁であること、版元と揉めたという設定があることが気になりつつ、読む。

感想だけを述べれば、異形の小説、という印象。本格ミステリ的な技術も使いつつ、セリフだけで構成される捜査小説としての魅力も楽しみながら読み終えたとき、「変な小説ね……」となった。ある種の趣向の極北だろう。レビューとか、書きづらいだろうな。

鴨川で読んでいた。近くに来たギャル二人組が写真を撮って「え、ウチらめっちゃ可愛くね?」「そうだよ。ずっとそうだよ」と言っていた。「ずっとそうだよ」って。現在はもちろん、過去も未来も丸ごと肯定している。ものすごい肯定の力である。「ウチらめっちゃ可愛くね?」に対して、ノリを合わせて肯定するときに時間軸を導入するとは。ああ、他者だ。圧倒的に他者だ。これこそコミュニケーションのワンダーだ。自分の言葉に対して、あまりにも自分からは出てくるはずもない返答が来ると、ものすごくわくわくしてしまう。自己中心的というか、自分の世界が肥大してしまった私のような人間にとって、圧倒的な他者を見つけたときの驚きは大きい。この驚きと喜びもまた、自己中心的な振る舞いなのかもしれないけれど。

私は傲慢である。他者に意外性を求めている。他者を人間としてでなくコンテンツとして見ている側面がある。そのくせ「人間を人間扱いしろ!」という思想を強く持っている。例えば、「人材」や「自分の市場価値」という言葉を嫌っている。人は材ではないから「人材」は矛盾していて成立し得ない単語だし、価値の源泉が人間にあるのに人間に価値をつける、というのもまた矛盾と思うからである。しかし他者を本来的な意味で人間扱いするのは難しい。本来、他者はすべて「圧倒的な他者」であるはずだ。圧倒的でない他者などない。自分ではない存在、もっと言えば、究極的には振る舞いを予測できない存在、他者というのはそういう存在のはずだ。しかし人間には行動パターンというのがある。生物的なものも、社会的なものもある。こういうことを言ったらこう返す、というような言語文化。それは「常識」と呼ばれるものを含んでいる。これのせいで、私は他者をコンテンツ化してしまう。私も他者も「常識」の中に生きているからだ。そう考えれば、人間が社会を運営できているのは、他者を人間扱いしていないから、できないからだとも言える。ここでもやっぱり、「中庸」の話だ。どれくらいまで他者を人間扱いしても社会を運営できるか、どれくらいモノとして扱って良いのか、程よいポイントを探り続けなければならない、というような。それにしても、「人材」や「市場価値」という言葉は即刻なくすべきである。極端な「人間のモノ化」だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?