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アアルト大学でまなんでいる3つのこと―多元論的デザイン、社会変容のためのデザイン、サービスデザイン&UX/UIデザイン

こんにちは。フィンランド・アアルト大学(Aalto University)の大学院にて、Collaborative and Industrial Design(協働・工業デザイン)の修士課程に在籍(2021-2023)している森一貴です。

本記事の目的

以前、アアルト大学への出願を検討されている方に向けた記事を書きました。しかし、内容が仔細にわたる割に、結局森自身が何をまなんで(まなべて)いるのかについてあまり記述してなかったなあと思い返しているところです。そこで本記事では、アアルト大学のデザイン修士課程に在籍している学生=私が、一体どんなことを学んでいるのかを、ざっくりと説明することを試みています。

現在、経産省や特許庁による「デザイン経営」への言及はもとより、サービスデザイン、CoDesign、UX/UIデザインなど、デザインの範囲が拡張していることは言うまでもありません。一方で、それらを"まなぶ"という視点で、拡張していくデザインの枠組みにおいて、海外のデザインスクールなどでどのようなことが実際に学ばれているのかについて伝える記事は、そこまで多くはないのではないかなあ、と感じています。

このような状況において、アアルト大学は、高度デザイン人材の育成に関する報告書でも、"これからのデザイン人材にはどのようなスキルが重要なのか"という視点から、調査において焦点があてられている大学のひとつでもあります。

そこで本記事では、アアルト大学に通う私の視点から、実際に現地でどのようなことが学ばれているのかを大きく伝えることを試みます。

いつものことながら、極めて主観的な記事であることには注意していただきつつ(例えば僕の視点からは、残念ながら"高度デザイン人材に必要"であるとされたマネジメント、ビジュアリゼーション、コラボレーションといった観点はほとんど抜け落ちています…すいません。笑)、お読みいただければ幸いです。

さて、本記事では、私がアアルトで学んでいる内容を、大きく3つの項目に分類して説明しています。内容は以下のとおりです。

- 多元論的デザイン
- 社会変容のためのデザイン
- サービスデザインおよびUX/UIデザイン

また、最後に本当に簡単にですが、CoDesign、non-human、持続可能性についても少しだけ触れることにします。

1) 多元論的デザイン

内容として、design justice(デザイン正義)、フェミニズム、decolonising design(脱植民地化デザイン)、autonomous design(自律的デザイン)などが含まれます。

- デザインの存在論的転回

2018年のDesigns for the Pluriverse出版以降、デザインの存在論的転回はよく聞くタームになってきました(*僕のバブルの中では)。内容については、以下におおまかにまとめてあります。(今読むとちょっと恥ずかしい点もあります。ご容赦あれ)

これは大きなパラダイムシフトを提示していますが、誤解を恐れずにざっくり説明してしまうと要点は二つ。

  • デザイナーは"外部"からユーザーの世界に介入する存在ではなく、むしろともに(ユーザー以外も含めて)影響しあいながら変容していく存在であるということ

  • ある優先的な概念(西洋中心/男性中心/人間中心…)に対して、デザインはそれを解体し、被抑圧者の側にたつ存在であるということ

このような流れは、1960年代後半以降のポストモダニズムのなかでじわじわと育まれてきたものだといえます。これまでは(今もですが)たくさんの要素が「ある支配的な枠組み」の秩序やルールにどんどんまとめられていってしまう世界だと言っていいと思います(John Lawはこれを「One-World World」と表現しています)。その支配的な構造自体にゆさぶりをかけつつ、世界の中にある多元的な要素が自由に立ち上がっていくこと、それを後押しするデザインのことを、ここでは広く「多元論的デザイン」として捉えています。

ここで生まれているのが、"政治性に着目"し、"the oppressed 被抑圧者のために立つ"ものとしてのデザインのあり方です。

- デザインと政治性

例えばSasha Costanza-Chockによる「Design Justice」では、インターセクショナリティの視点を交えながら、デザインは、無意識に抑圧を再生産してしまうことを指摘しています。Winner Langdon(1980)によれば、「artifacts have politics 人工物には、政治性がある」のです。

例えばシンプルな例でいえば、男湯・女湯がある銭湯では、LGBT当事者の方々は、どちらに入ればよいのでしょう?ここでは、男女別、という二項対立的な考え方がアーティファクト(銭湯)に埋め込まれており、それ以外の選択肢がある可能性について検討されてこなかったことを読み取ることができます(フィンランドでは公共サウナでも、男女別サウナに加え、誰でも入ることができるサウナを用意しているケースも。水着着用!とのこと。銭湯もそういうあり方があってもよさそう。…もうありそう)。

さらにSashaは、このように社会に埋め込まれた権力性に気づくだけでなく、デザインがいかに抑圧の再生産を止めることに寄与できるか、いかに被抑圧者の側に立てるか、に関して具体的な提案を行っています。

ここにおいてデザイナーとは、「デザインを通じて問題を解決していく」役割ではなく、むしろ問題を持ち、それを解決したい当事者に対して、それを後押しする側にまわるべきではないか、ということが述べられています。

- 脱植民地化デザイン

このような、政治性について検討しようとするデザインは多々ありますが、例えばそのひとつとして、脱植民地化デザイン(decolonising design)という考え方があります。

デザインは、植民地的な(西洋中心主義的な)考え方=政治性を、無意識にアーティファクトに埋め込んでしまう。例えば、なぜオンラインのサービスは、すべて左から右に読むことが当たり前のようにつくられているのでしょうか。アラビア語など(日本語もそうですが…)右から左に読む言語のことは、考慮されているのでしょうか?だとすれば、どのように?

下記はエジプトにおける西洋中心主義の埋め込みを取り上げたイラストですが、「FLESH(肌色)」という名の絵の具で、「自分の肌の色が塗れない」ことが示唆されています。

フィンランドでは、例えば先住民族であるサーミ人(日本でいうとアイヌにかなり近い位置づけです)の政治的活動や、それを支えるものとしてのデザインの役割が論じられたりしています。

- Design Activism

ここまで述べたような、ある中心性―西洋中心、男性中心、トップダウン等々―といった考え方に対して、そのような世界に揺さぶりをかける実際的なアクションに焦点をあてるのが「Design Activism」といわれる領域です。

ここでは、特に教授のGuy JulierがこうしたDesign Activismおよび、デザインに表出する政治性を問うDesign Cultureの専門家としており、議論をリードしています。ちなみによく参照される文献としてはFuad-LukeやDi Salvoが有名だと思います。ほかにMarkussenやFran Tonkiss、Keshavarzなども。

こうした権力性やそれに対する抗いとしてのデザインの視点は、日本では(少なくともデザインシーンでは)あまり議論されていないように感じます。しかし、LGBTなど人権に関わる議論が日本でも盛り上がりを見せる中で、実際には、市民および政府双方の意図を媒介し、社会に具現化させる力こそが「デザイン」です。その意味で、どのようにアクターの意図がモノに埋め込まれ、社会にあらわれているのか、私たちはそれにどう対抗していけるのか、という議論はもう少し日本でも深まる必要があると感じます。


大まかに多元論的デザインの内容についてまとめておきます。多元論的デザインの領域では、被抑圧者への視点に触れました。特にフェミニズムや脱植民地化デザインの例を取り上げつつ、私たちデザイナー自身が、社会に埋め込まれた政治性に意識的になること、およびそれをデザインとして実践するというのはどういうことなのか、についてアアルトでは積極的に学ばれている、ということを説明しました。

(ちなみに、「存在論的転回」において示した二つの変化のうちの前者、相互作用しながら変容していくデザインのあり方については、non-human、ケア、想像力といった領域が関わってきます。これについては私自身はまだ深堀りできていませんが、興味を持たれた方は、同じアアルト大学CoIDの卒業生である、川内さんが取り組んでいるDeep Care Labをぜひ参照してみてください。)

2) 社会変容のためのデザイン

関連する領域として、システムシンキングはもちろんのこと、例えば准教授であるIdil Gaziulsoyが専門とする、Design for Sustainability Transition(DfST)や、CoDesignの専門家であるSampsa Hyysaloが実践したTransition Managementなどがあります。他にドクターの人々も、Transition TheoryやPractical Theory 活動理論などをそれぞれ専門としており、どのように人々の言説の変容および行動変容をリードしていくか、といったことを専門に考えている人が多そうな気がします。

今のところ、まだ僕の学びは基礎的段階です。例えばDesign for Social Changeなどの授業では、Star & Ruhlederらによる「インフラ」の概念や、経路依存性 path-dependency の概念などを学び、なぜ社会は変わりにくいのか、その変容のためにどんなことが可能なのか、を考えたりしています。

- 社会の変わらなさについて

社会はなぜ変わらないのでしょう?

"社会の変わらなさ"について簡単に説明しようとするなら、例えば、自動車をなにか別のものに置き換える、ということについて考えてみるのがわかりやすいでしょう。自動車がこの世にある"だけ"なら、それが何万台、何億台あろうと、置き換えることは簡単です。しかしながら、自動車はそれだけで存在しているわけではありません。「自動車」という概念を支えるために、例えばガソリンスタンドがあり、そのための輸送システムがあり、道路があり、その保全システムがあり、その道路を前提とした都市システムがあります。

自動車という概念を置き換えることは、このシステム全てを置き換えることを意味します

一体どれだけの人が関わり、どれだけの政治や企業に自動車の概念が深く組み込まれているか考えただけでも、その"変わらなさ inertia"は容易に推測がつくでしょう。

このような、複雑に絡み合いながら「当たり前」になってしまったものが「インフラストラクチャ」です。Star & Ruhleder (1996) では、9つのインフラストラクチャの特徴を同定しています。例えば「埋込性 Embeddedness」。インフラストラクチャーは社会の中に「沈み込んで "sunk" into」いる。あるいは「透明性 Transparancy」。インフラストラクチャーはその都度発明したり、組み合わせたりする必要がなく、不可視的に私たちが何かを使うことをサポートしています。等々。

これに関する超有名どころといえば、Geels (2002)によるMLP: Multi-Level Perspectiveのこの図でしょうか。

超簡単に言えば、個々に開発された技術的ニッチは、社会-技術的な体系―インフラストラクチャーや市場、文化、政策などに受け入れられることによって、landscapeへと発展していく、ということ。逆に言えば、この突き抜けたナニカ―例えば自動車というもの―を切り替えるためには、相当の社会的変化を起こさなければならない、ということをこの図は示唆しています。

- Design for Social Innovation

僕自身は個人的に、Ezio ManziniによるDesign for Social Innovationについて探究を進めています。

Ezio Manziniの視点は、ボトムアップの動きを主眼に、それをいかにデザイナーがエンハンスできるかという視点で書かれています。彼の態度は、「誰もが"デザイン能力 Design Capability"を持つデザイナーである」というもの。

人々は、それぞれの日常の中で「ローカルな非連続性 Local Discontinuity」を実践することが可能である。それが折り重なっていくことを通じて、ある空間のなかで「変容する規範性 Transformative Normality」が生まれるとManziniは述べています。このTransformative Normalityとは、ある社会では違和感のある行為であっても、ある社会でその行為や文化が一定の閾値を越えると、それは自然に、勝手に変容へと向かっていく、ということを意味しています。

Transformative Normalityの意味は、やや捉えにくいです。そこで、その意味をフィンランドでの僕個人の経験から話してみます。

フィンランドでは、ヴィーガンであることが極めて容易です。僕の肌感では、僕の友人の半分はヴィーガンですし(みんな割と柔軟にやっていますが)、僕もすでに一ヶ月ほどヴィーガンを実験的にやってます。日本にいたら、僕はやろうとは思っていなかったでしょうし、やろうとしても相当不可能に近いでしょう。しかし友人に聞けば、たった10年ほど前は、フィンランドでもほとんど不可能だったよ、というのです。

ここでは、フィンランドで一人ひとりが「ヴィーガンをやってみる」ということを選択する―これまでの当たり前とは違う、「ローカルな非連続」を選択することによって、徐々に徐々にスーパーで商品に「ヴィーガン」を示すマーク("V"と書かれています)がつけられたり、代替食の流通が増えたり、学食がヴィーガン食を取り扱い始めたりと、少しずつヴィーガンをすることが容易になってきたことが見て取れます。そしてそのような「ローカルな非連続」の結果として、ヴィーガンをすることが「簡単」になると、一気にその流れが加速していく、とManziniは述べているのです。結果、フィンランドではヴィーガンの流れは一気に加速し、アアルト大学の学食であるKipsariでは、全てのメニューがヴィーガン食オンリーになっています。

ここでManziniは、「ローカル」から始めることの重要性を強調しています。海士町の教育魅力化プロジェクトに大きな貢献を果たした豊田庄吾さんの言葉を引用します。

プールに一滴だけ黒いインクを垂らしたって、何にも変わらない。でも、コップ一杯の水にインクを垂らしたら、あれ、なにか変わったな、と思えるでしょう。僕たちがやっているのは、そういうことだと思うんです。

個人的な会話より。

社会全体では起こすことが難しい変化でも、小さなローカルの内部でなら、Transformative Normalityを生み出すことは可能だと、Manziniは示唆しているのです。そして、それが接続しあっていくことによって、社会を変えていけるのだと。Manziniが描くのは、そんな「SLOC(small / local / open / connected)」モデルを通じた社会変革のあり方です―大きな社会全体で全てをひといきに変えていくことは難しい。けれど、ローカルのなかで、小さく「当たり前」を変えていく。そして、その変化するローカル同士がオープンにつながりあってゆけば、社会は変えていけるのではないかと。

ちなみにManziniは、同時にもっとボトムアップ寄りから、ローカルな人々自身が立ち上げていくうねりをエンパワメントするものとしてのデザイナー像を描いているのですが、個人の肌感として、フィンランド/アアルト大学では、デザインがそういう描かれ方をすることはそんなに多くないかなという印象です。

3) サービスデザインおよびUX/UIデザイン

これらは基本的にプロジェクトベースのため、構造的に説明することが難しいのですが、具体的な授業の内容を通じて説明してみましょう。

- UX/UIデザイン

CoIDの必修授業「インタラクションデザイン」では、実際にまちに出て課題をつかみ、GoogleのDesign Sprintを用いてプロトタイプを開発。それをユーザーインタビューを実施して評価する、といったプロセスを通じて、"インタラクションデザイン"をとにかくフルで走り抜いてみる、という授業を行いました(非常にしんどい)。

森による、Figmaを用いたはじめてのアプリのプロトタイプ。

特にこの授業では、アアルトの授業では割とないがしろにされがちなEvaluationのプロセスに焦点があたっていた(3週間ほどかけた)のが印象的です。多くの授業では、コンセプトまで設計してプレゼンして終わり、というケースが多いなか、評価方法などを具体的に学びながら、実際のユーザーインタビューを実施していきます。

この授業の開発はアプリに限ったものではありません。例えば他のチームではペットのための公園の設計、地下道におけるインタラクティブなコミュニケーションツールの開発、といった様々なアイディアに取り組んでいました。

ちなみに、アアルト大学では、実際のデザインの方法や、Figmaの使い方、サービスデザインのツールなどに関しての講義はほとんど行われません。技術的なところは、ほとんど学生任せです。調べてやればわかることなので、修士レベルとしては当たり前のスタンスなのかもしれませんが。

- サービスデザイン/政策デザイン

サービスデザイン自体は、特に特別な学びがあるわけではありません。が、アアルトの実践的プロジェクトでは、多くのケースで実際のクライアントを持つ点に特徴があるように思います。

現在はDfG(Design for Government)という死ぬほど重い名物授業をとっているのですが、これは実際に政府系のステークホルダーをクライアントに、ヒアリング、課題定義、ソリューション提案までを行う授業です。

今回の僕のチームのクライアントはMetsähallitusという、フィンランドの1/3にまたがる面積について、管理・自然保護を行う政府系組織。彼らは国立公園についても責任を追っています。僕たちのチームでは、コロナ禍などで急激に来場者が増えるなか、人々を受け入れつつも、生物多様性 biodiversity をどう保護していくのか、という問いに取り組んでいます。

国立公園へフィールドワークへ。晴れて嬉しい

(ちなみに隣のチームはフィンランドのハローワーク的な組織がクライアントで、こちらは「デカい組織であるハローワークが、それぞれの行政に窓口を持つ」という状況から、「ハローワークを解体し、それぞれの行政がそれぞれにハローワークを抱える」という組織の大変革期において、その移行を成功させるためのサービスデザインに取り組んでいます)

ゲスト講師陣として、ヘルシンキ市や政府のサービスデザイナーなどがやってきて、こんなプロジェクトをやったよ的な講義をしてくれます。なんにせよ、クライアントであるMetsähallitusをはじめ、どんな組織にもサービスデザイナーがいる、ということが僕にとってはそもそも衝撃的です。

僕たちとしては現在、フィールドワーク、インタビューに加え、ステークホルダーマップやシステムマップの作成を行っている段階です。他のチームでは、ペルソナの作成、カスタマージャーニーマップなどにも取り組んでいるようです。

暫定版ステークホルダーマップ。

DfGのウェブサイトからは、過去のプロジェクト内容なども確認できるので、ご興味があるかたはぜひ。

これに近いものとして、"Designing for services"というこちらも著名な授業があり、こちらではエスポー市(ヘルシンキのすぐ隣の市で、日本でいう横浜みたいな感じ)をクライアントに、こちらはまさにサービスデザインをド直球に学びながら実装していくというものです。これまでに、リビングラボにおける市民とのワークショップ、などが実装されたと聞いています。

その他のまなび

さて、ここまで「多元論的デザイン」「社会変容のためのデザイン」「サービスデザインおよびUX/UIデザイン」と大きく3つに分けて、アアルト大学のCoID(Collaborative and Industrial Design)でのまなびを紹介してきました。

簡単にで恐縮ですが、他の領域についても触れておきます。

CoDesignについては、アアルト大学ではTuuli MattelmäkiやSampsa Hyysaloなどが議論をリードしています。実際に、建築界隈では超有名なヘルシンキ中央図書館「Oodi」において、Sampsaが市民ユーザーを巻き込んだ将来の利用を考えるワークショップをリードするなどの実績があります。CoDesignの概念にはかなり幅がありますが、僕の肌感では(これはどこでもそうなのかもしれませんが)、政府系組織や企業の課題意識に対して、どのようにユーザーを共創に巻き込んでいくか、というアプローチが多いです。

CoDesignの領域。上平(2020)をもとに森作成。

non-human(post-anthropocene)の視座については、まだしっかりとした形が見えてきていないこともあって、僕の個人的な感覚ではアート系の授業での扱いが多いか、あるいはデザイン側でもまだ理論段階という印象。アアルトの授業では、そのものずばり「Design for the posthuman era」という授業があるほか、ダナ・ハラウェイやアナ・ツィンを読みながら、最近開発された一帯を歩き回りながら議論しつづける授業や、馬屋に通う授業などがあります。たのしそう

持続可能性は、アアルト大学にとっては極めて根本的なテーマです―大学のストラテジーの一言目が「Shaping a sustainable future」です。こう豪語するだけあってその豊富さたるや、持続可能性については端から端まで取り揃えています。抽象的な議論はもちろんのこと、持続可能な政治、マテリアル、流通、消費、水システム…などなど。アアルトのCS (Creative Sustainability)というコースはまさにその肝いりのプログラムだといえます。

この他、僕個人の関心領域として、別途Urban Designや環境心理学の授業を受けていますし、コモニングやイノベーションエコシステムなどに関してもタッチしたりしているところです。

アアルトにはそのほか、デザインに関わるマネジメントやイノベーションの授業もあるほか、プロダクトやICT領域に関連する授業をとっている友人もたくさんいます。また、特徴的なのはデザイン系の学生と外部の学生が関わるプロジェクトで、例えばCHEMARTSという授業では、化学系の学生とデザイン系の学生が集って、一緒に実験から製品開発までを実施するということが行われています。

さらに、アアルトには3Dプリンタだけでなく、服飾はもちろんのこと木工房や金属工房、ガラス工房、セラミック工房などが揃っており、どこまでデザインと呼ぶべきかは置いておいても、本記事で触れていないかなり広い領域があるということをご承知おきください。

おわりに

本記事では、僕がこれまでに学んできた内容を整理しつつ、ざっくりと多元論的デザイン、社会変容のためのデザイン、サービスデザインおよびUX/UIデザインの3つに分類して、その内容を大きく見てきました。

多元論的デザインでは、社会に埋め込まれた権力性に自覚的になること。そしてそれをもとに、被抑圧者の側に立つデザインのありかたが模索されているということを説明しました。続いて社会変容のためのデザインでは、社会の変わらなさについて説明したあと、Design for Social Innovationの視点から、ローカルから社会を変えていくためのモデルについて簡単に説明しました。最後にサービスデザインおよびUX/UIデザインについては、アアルトでは、実際にクライアントを迎えてのプロジェクトベースの授業が行われているということを、実例を通じて説明しました。

アアルトでのまなびの大きな一本線はなんなのか、と言われるとちょっとわかりません。あんまり僕自身はまなびをまとめていく気はなくて、なんならちょっと授業選択がまじめすぎるので、もう少し外していかなきゃな〜、と思っているところです。

あらためて、この記事はあくまで、アアルト大学のCoID(Collaborative and Industrial Design)学科に所属している、僕個人のまなびである点を強調しておきたいと思います。それでも、現在デザインスクールに通っているある一人の個人が、何をどのように学んでいるのか、その一端をお伝えできたのではないかな〜と思います。

なにかおもしろい話やご相談ごと等あれば、いつでもtwitterなりインスタなりでお気軽に連絡していただければ幸いです。

それでは。

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以下宣伝。

大学院留学に関連して、マガジンにて記事をいくつか書いています。

イギリス・RCAのサービスデザイン、およびデンマーク・オーフス大学のVisual Anthropologyに在籍している友人と、マガジン「欧州往復書簡」を執筆しています。

デザイン関連の記事などもいくつか。

以下、自己紹介です。

「社会に自由と寛容をつくる」をビジョンに掲げ、プロジェクトマネージャー・サービスデザイナーとして、まちに変容を埋め込むデザインを探究しています。キーワードは変容、自然さ、寛容。

福井県鯖江市のシェアハウスを運営。半年間家賃無料で住める「ゆるい移住全国版」コーディネーター。福井の工芸の祭典「RENEW」元事務局長など。

詳細は以下より。

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