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77.10:14 未来がある?苦しいのは「今」なんだ。

お香を焚くのが好きだけれど、お香を持った手に付着するあの匂いだけは苦手だ。
分かってくださる方はいらっしゃるだろうか。
なんでいい香りじゃないのだろうか。
ヤニのにおいというか。
嫌いだ。
けれどお香は好きだ。
嫌いと好きのはざまで、今日もお香を焚く。


高校生1年生の時、同じクラスにとってもかわいい女の子がいた。
私は心底憧れていた。
何故なら、自分とはかけ離れていたから。
天然パーマで、伸ばしっぱなしの髪をふたつに結んだだけの私と、綺麗な黒髪をボブにそろえていた彼女では雲泥の差があると思っていた。
制服の着こなしもお洒落で、校則に則っていながらも素敵な靴を履いていた。
長いスカート、高校指定の靴の自分とは全く違っていた。
とにかく輝いて見えた。

周りの子も同じように思っていたらしく、その女の子のような髪形や着こなしをする子が現れだした。
かく言う私もその一人となった。

ある時クラスの集合写真を撮った。
出来上がった写真をのちに見た時、私は愕然とした。
憧れのあの子と、それを真似る女子たち。
その中に、憧れのあの子を完全にコピーする自分。
そして、それが全く似合っていないことにショックを受けた。
あの子と自分は初めと同じく、全くかけ離れていた。
客観的に自分を見た初めての瞬間だったのかもしれない。
とんでもなく恥ずかしかった。
周りにどう思われていたのかも、物凄く気になった。
馬鹿にされていたのではないか。
嘲笑われていたのではないか。
そんなことを考える自分がとても情けなかった。

15歳、16歳。
自我は強いのに、「自分」というものは無い。
なんて難しい年齢何だったのだろう。

彼女と私は初めから違う人間。
姿かたちが違えば、似合うものも違う。
そんなことが当時は全く分からなかった。
今思えば、ただ「自分」を探し求めてもがいていただけだったのかもしれない。
その過程で、少し恥ずかしい思いをしただけ。
それは分かっている。

けれどあの頃のことを思うと、まだ胸が痛む。
その後にもっと恥ずかしいことや苦しいことも経験した。
16歳の頃の羞恥心なんて、大したことない。
そう思うけれど、その時はたった16年の人生しか生きていない中で、最大の羞恥心を感じた出来事だったのは間違いない。
その時点ではそれが全てだったのだ。
だから、その当時最大の苦しみは、いまだに私の心を痛める。

若い世代に未来のことを例にだして慰めても、あまり意味はない。
彼らにとっての人生は、その時までが全てなのだから。
私はそう思う。

もし、若者がそれまでの人生において、もっとも苦しい出来事があったら、大人は「そんなこと」と思ってはならない。
これからもと苦しいことや辛いことがある、なんて言うのはもっての外だ。
もっと理解しよう。
自分に最大の苦しみがやってきたのと、何ら変わらないのだから。

そうやって理解されたとき、きっと彼らは救われる。
私もそうしてほしかったな、という願望を込めてこれを書いた。

私も理解できる大人でありたい。
それが年長者の本当の役目なのだから。

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