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66.9:40 え、それってゼロウェイストなんですか?

まずは日常の雑記。

買う買わないは自分に委ねられているはずなのに、売り手の「買って!」という無言の圧力に気圧されてしまう。
「何が何でも買わせる。」という売り手には辟易するのだ。
それが仕事だとこちらも理解しているが、それでも嫌なものは嫌だ。
ゆっくり好きなものを買わせてよ。
なんて、先日訪れた家電量販店で思ったのでした。


普段はテレビを見ない。
そんな私が、先日珍しくテレビでニュースを見ていた。

特に知りたいニュースがあったわけではないが、家族が見ていたので何となく流し見をしていた。
すると、ある企業(行政だったかもしれない)が、子どもたちに「ゼロウェイスト」の重要性を伝える為に、座談会のようなものを催していた。

以前『ゼロ・ウェイスト・ホーム』という本を読んだことがあったので、実際にごみをゼロに近づけるためには、とんでもない努力と何より強い意思が必要だということは理解している。
ゼロウェイストはなかなか難しい試みだが、ごみを減らそうという考え方自体はとても良いことだと思う。
それを現代の子どもたちに伝えるのは、素晴らしいことである。
日本はごみの排出量が世界のトップ10に入っているし、周りを見渡せば過剰なほどの包装や使い捨ての商品が目に入る。
そんな日本で、今後の社会を担う若者の意識を変えようという取り組みなのだろう。

しかし、そのニュース映像を見て私はとてもがっかりした。

それは、なぜか。
座談会は会議室のようなところで、テーブルを並べて行われていた。
そのテーブルの上に、あるものがあったのである。

あるものとは、出席者全員の前に置かれた「ペットボトルのお茶」である。

仮にも「ゼロウェイスト」を謳ったイベントである。
使い捨てのプラスチック容器は、現代日本において減らすべき対象の最たるものではないだろうか。

主催者は「ゼロウェイスト」について、そこまでの関心がないのかもしれない。
いや、関心はあっても知識不足、認識不足と言わざるを得ないだろう。
パフォーマンスとしてのイベントであったのだろうか。

何よりも残念なのは、主催者のそういった態度ではなく、出席した子どもたちの「学び」が阻害されたことである。
口では「ごみを減らそう」「ごみを無くそう」と言っていても、目の前に500mlのペットボトルのお茶が全員分用意されていては、全く意味がないではないか。
それらは、結局ごみになるのだから。

それをニュースとして放送する放送局にもがっかりした。
映像を見れば、このイベントに放送する価値はないと分かるはずなのに。

環境活動家でも何でもない私が、今回の矛盾に気づいたのである。
日本のごみに対する意識のレベルは、かなり低いのだなと改めて認識した出来事であった。
残念であり、さもありなん、という感じである。

かといって、私がごみを減らす努力が十分に出来ているかと問われれば、答えは「いいえ」と言うしかない。
まだまだ不十分だ。
ゼロウェイストはとてもじゃないが、目指せない。
しかし、日々のごみについては意識改革が必要だなと思わされた。

結局、人の振り見て我が振り直せということか。
自分自身も反省したのであった。

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