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頑張ってしまう自分

以前、満たされるようになって、息を吸うようにできることをするのが秘訣、という話を書きました。
その時点から気づきがあったので、ここに書き留めておこうと思います。

1.私は実は「満たされていない人」だった

私は満たされた世界線に来たなと感じて日々過ごしていました。好きな時に起きて、好きな時にカフェで引きこもれたり、プログラムをやってゲームを作るという、好きなことも見つかったためです。

しかし、半年以上その世界線に住んでいて、なんだか変だな?と感じるようになりました。それは「頑張っている自分がいる」ということに気づいたのです。

言葉を変えれば「集中」ではなく「没頭」している自分がいたのです。私は真に満たされている人は「集中」と「リラックス」を繰り返すという概念を持っています。対して、心に不安がある人、仮面をつけている人、つまりは満たされていない人は物事に「没頭」すると捉えています。私は好きであるはずのゲーム作りをしていても「没頭」しているのです。休むことをあまりしないのです。

この話を他の言葉でも説明できます。私は「行為」ではなく「行動」をしていたのです。私は真に満たされている人は全てのアクティビティが「行為」で成り立っていると捉えています。一瞬、一瞬で未来に対するイメージが変わっているのです。子供が原っぱで無邪気に走っている感覚と同じ感覚の中で過ごしているのです。子供にどうして走っているの?と聞いても「走りたいから」とこたえます。そこには目的や狙いはありません。対して満たされていない人は「行動」でアクティビティを成り立たせます。
 ・英語をペラペラになりたりたいから、英語を勉強しよう。
 ・メガネが壊れたから、メガネを修理しに行こう。
 ・同僚に飲み会に誘われたけど、断ると後に響く、心象悪いだろうから参加しよう。
このようなかたちです。日常生活の振る舞いには何か狙いがあります。目標があります。願望があります。エゴがあります。そこには何か叶えたいこと、理想像があるのです。
対して「行為」の上で行動すると狙いはありません。ただやりたいからやっています。気分だからやっています。別の言い方をすれば「フロー」に入っている状態です。その瞬間瞬間で自分が次に何をするのか明確にわかります。耳は赤くなって集中しています。時間が一瞬で過ぎ去ります。周りがうるさくても音が気にならない、むしろ聞こえなくなります。そこアクティビティは「行為」、言い換えれば「フロー」の中にあるのです。私は好きであるはずのゲーム作りをしていても「行動」していました。何か狙いがあってゲーム作りをしていました。

結果的に、私はゲーム作りをしていて「ゲーム作りを集中してやる期間」と「ダラダラして何もやる気がない期間」というのが、長い目で見たときにあることに気づきました。ゲームを作って集中していて、時間が一瞬に感じるから、きっとこれはフローに入っているんだ!と思っていました。事実、入っていたと思います。しかし、やめることができないのです。「没頭」してしまっているのです。この反動か「ダラダラして何もやる気がない期間」が発生します。4日くらいでしょうか。2週間くらい、ゲーム作りに没頭したと思ったら、エネルギーがぷすんと切れたように、パソコンを触らなくなるのです。反動でタイ式マッサージに行ったり、エステに行ったり、ちょっと服を買って自分をアップデートしたり、髪を切りに行ったりします。全てのご飯は外食です。お金を使います。

私はつい先日までこの自分の在り方を「満たされた人」の在り方だと勘違いしていました。確かに、満たされています。しかし、どこかで「頑張らないといけない」のです。ただ、ゲーム作りをしている時は「頑張っている」という感覚は私にはありません。息を吸うようにゲーム作りを進めます。取り組み始めると、1日が一瞬です。時にはご飯を食べることすら忘れます。「頑張っている」という感覚は私にはありませんでした。しかし、今の私から見ればその状態は「頑張っている」のです。不安な人の在り方、満たされていない人の在り方である「行動」の中にあり「没頭」という状態に入っているのです。

私はこれに気がつき「なぜ『行動』や『没頭』してしまうのだろう」ということを考えました。2週間程度、情報を集め、自分に向き合い続けました。そこでわかったことを共有します。

2.抑圧した感情(絶望感、無価値感、罪悪感)が潜在意識に残っている

結論から言えば、私の潜在意識には絶望感、無価値感、罪悪感があります。これらがどのようなものか、ということを話していこうと思います。

2.1  自分は何もできないという絶望感、無価値観

私は「自分は何もできないんだ」という感覚が無意識レベルである人です。自分はなにもできない、と悟った感覚が絶望感となっています。自分は無力なんだ、と悟った感覚が無価値観となっています。

私がどうしてこんな感覚を無意識レベルで持つようになったかと言えば、「子供らしい子供時代を送れなかったためです」。断っておきますが、私は幼少期、言い換えれば小学生時代、大変恵まれた環境で育ったと思います。半年に1回家族で旅行に行って、魚釣りやバーベキューをしていました。お母さんは毎日ご飯を3食作ってくれて、のびのび遊ばせてもくれました。一緒にゲームもたくさんやりました。家族で「どうぶつの森」をやって、お家のレイアウトをやったり、化石集め、ハニワ集めにハマりました。ポケモンをやってポケモンを集めたり育てたりすることも夢中でやりました。お父さんは寡黙な人でしたが、拾ってきた木をノコギリで切ってロボットを作るのを手伝ってくれたりしていました。夏はセミを一緒に取りに行ったりしました。ウチのお父さんはいわゆる土日の遊び担当、というかたちで、平日はあまり接する時間はないけれど、土日に気分で一緒に遊ぶというかたちでした。もちろん虐待などもなかったですし、勉強を強要されたこともありません。むしろ両親の喧嘩は少なく、絵に書いたような円満な家庭でした。小学校時代「離婚」をテーマにした題材を道徳でやった際、こんな大変な環境な人もいるんだ、と他人事に感じ、ウチにはあり得ない出来事だなと思いました。事実、そう思ったことを私は覚えています。そんな環境で育ったのに、私は「自分は何もできない」という「絶望感」「無価値観」を抱くに至ります。

一体、どこで「子供らしい子供時代を送れなかった要素があるんだ?」と思うかもしれませんが、事態は私が中学生になると一転するためです。私が中学生になった頃、家族の中で「大事件」が起こります。「大事件」の結果、私は家族のバランサとなることになりました。そうして私が大学生になったタイミングで両親は離婚しました。あれほど、ウチには無縁だなと思っていた離婚という状態がウチにも当てはまったのです。バランサとなることが「子供らしい子供時代を送れなかったこと」に繋がったのです。

「大事件」が起こり、穏やかだったお母さんはヒステリックになり、いつもどこか余裕のない人となりました。それでもベースは優しい人なので、外からは「毒親」ということは分かりません。ただ、人生の転機のような時にヒステリックな人格が顔を出します。たとえば、私がお母さんの期待にこたえず、ある大学を受験しようとすると否定します。どんな言葉をかけられたかは、事細かに思い出せないのですが、「会話にならないな、冷静ではないな」と思った感覚は残っています。お父さんは中学生の頃は家にはいたのですが、ほぼ接していないので、思い出という思い出はなく、私が高校生になると家から出て行っています。一緒に遊んだ記憶は小学生までしかありません。

中学生から私は崩れゆく家族のバランサとなりました。自分のやりたいこと、気になることを横に置き、家庭が以前のような笑顔でいっぱいな家庭になるように全力を尽くしたのです。私は自分の気持ちを抑圧していました。自分の気持ちを押し殺したことが「子供らしい子供時代を送れなかったこと」に繋がったのです。

この状態は言い換えるならば「私はお母さんのココロのお世話をしなければならない」状態でした。お母さんは「大事件」によってひどく傷つき、女手ひとつで私たち(子供たち)を育てないといけないと、躍起になった状態でした。頑張ろうとしていました。すごく頑張ってくれたと思います。しかし、人間完璧ではないし、どんなに頑張ろうとしても限界があります。

お母さんは小学生の頃と同じく3食作ってくれました。私たち3人兄弟の環境を変えないようにと、仕事も見つけてやりくりしてくれました。言葉のかけ方も日常生活では大して変わるところはありません。しかし、お母さんの抑圧している不安、怒りは態度に出ました。

私たちが「お母さん、今日は〇〇いってくる〜」と言うと「いいね、あなたは楽しそうで。お母さんはこれからご飯作るから」とこたえます。他にも、「みてみて〜この前テストで98点だったんだ〜!これは学年で一番なの!」と言うと、「よかったじゃん」とこたえます。これらの話のとき、お母さんは「そうなの」とか「よかったじゃん」とか肯定的なリアクションをしてくれます。だけれども目が笑ってないのです顔が真顔です。冷静です。その態度からなんとなく、心からよかったと思えていないことがわかります。どこか不満を抱えていることがわかります。お母さん自身でも自覚できていない不満が態度に出ているのです。

極端に何か否定されたり、攻撃されたりということがない家庭環境の中で、私はバランサでした。順風満帆だった幼少期から、お父さんが家庭の中でいなくなって、遠くなっていって、私たち子供は不安を抱えていました。中学生は子供だけど大人なので、お母さんに駄々をこねたりもしません。「それはお母さんの選択だから」と理解を示します。でも本当はみんなで仲良くいたいという気持ちがあります。しかし「大事件」によってウチの家族の空気感は一変しました。どんなにこれまで通りの自分でいたり、工夫して親が望んでいることをやったり、どんなに親が求めている言葉をこちらが書けても、元の状態には戻らないのです。あの温かい小学生だった頃の家庭には戻らないのです。こうして私に次第と自分の力ではどうしようもできない、という感覚が蓄積されていきました。この感覚が今だに私が持っている「無価値感」です。もう元の家庭には戻らないんだ、どうしようもできないんだ、という悟っている感覚が「絶望感」へと変わったのです。

この絶望感は大人になって恋愛で顔を出すようになりました。彼氏を作ると「お試し行動」をするようになりました。自分がどのくらい愛されているかというのを図るようなアクションを取ってしまうのです。具体的には相手が少し困るようなアクションをわざと取ります。「今から来てほしい」「私が今どんな気持ちかわかる?」と無理なお願いをして、それが叶わない場合、私のことを想ってないの?という主張に繋げたりします。他にも自分が今どんな気持ちかを聞いて、相手がそれにこたえられない、または私の思い描いた回答でないと、私のこと想っていないという主張に繋げます。これは私がお母さんに「わかってもらえなかった」という感覚が残っているために起こるアクションです。自分の気持ちを抑圧してお母さんの話を聞いたため、私は私の意見を言うことが叶いませんでした。それを相手にただ受け取ってもらうということが叶いませんでした。その感覚が「わかってもらえなかった」という感覚で残っているのです。

家庭環境が崩れゆく中で、私が感じたことは「私がどんなに頑張っても家族は元通りにならない、私には力がない、どうしようもない、私はみんなのためになれなかった、価値がないんだ、無価値なんだ」という絶望感です。自分にはどうすることもできなかったという無価値観です

この話を繰り返すと次のかたちとなります。私は小学生までは恵まれた安心できる家庭で育ちましたが、中学生からお父さんが家庭でいなくなったので、不安を感じる家庭環境で育ちました。その結果、お母さんはお父さんの話をすることを嫌がりました。これまで「パパ」と呼んでいたのに、そのワードを出すことを嫌がりました。不機嫌になりました。子供たちである私たちは不安だから、その件について話したりシェアしたいのに、それが叶わなくなりました。そうして私は不安を感じる兄弟のクッション材になったり、お母さんの不安を聞く「バランサ」となりました。特にお母さんの話を聞くことは、私の「無価値観」「絶望感」を強めていくこととなりました。私はお父さんも大好きでお母さんも大好きです。これは本能的に好きでした。何があっても好きなのです。

しかし、大好きなお母さんは大好きなお父さんを否定します。「あんな男と結婚しなければよかった」「あんなことするなんて非常識」「あんなことするなんて狂ってる」。私はお母さんの話を「そうだね」「あり得ないよね」「ひどいよね」「こっちのことなんて考えてないよね」と相槌をつちます。ただ、私はこう相槌を打ってはいますが、こう言いたいわけではありません。「お父さんも〇〇みたいに考えたんだよ」「お母さんの〇〇なところが〇〇に繋がったんじゃない?」と私なりの意見があります。時にはそれを伝えたことがありましたら、そんな言葉をかけようなら、お母さんは怒り狂います。ひどい時にはヒステリックと言いますか、会話にならなくなります。私がお母さんの味方をしないと、お母さんは安心しないのです。だから、私は自分の気持ちを押し殺して、お母さんの話を聞きました。私の気持ちを抑圧して、そうだね、そうだねとお母さんの心のケアをしました。本当は子供らしく、自分なりの意見を言ったりしたかったのですが、それが叶いませんでした。

私は不機嫌な親の機嫌を取ったり、自分の存在を揺るがす親の否定を聞くことで心が乖離しました。また、お母さんは私たちを育てるために、いわゆる自己犠牲的な精神で日常を生活していました。そのため、私たちにとって嬉しいことや成功したことがあると、心から喜ばないところがありました。私たちが楽しそうに、嬉しそうにすると、なんだか恩着せがましくなったり、私は〇〇しないといけないから。と、こちらが楽しく過ごしてはいけないと感じるようなリアクションをしました。

こうして私は条件のある環境のみで自分の存在が家庭で受け入れられるようになりました。リラックスしてゲームしていると「お母さんは〇〇しないといけないけど、あなたたちはいいわね」「こんな綺麗な周りも利発な学校に行けるなんて、羨ましいわ〜。将来順風満帆だね」リラックスしていることが受け入れられませんでした。頑張っているというアピールをすると、お母さんは落ち着きました。しかし、ある一定以上の「成功(お母さんにとって成功に見える事象、例えば偏差値の高い進学校に行くなど)」をすると、なぜか皮肉っぽいお母さんがいました。これが次に説明する「お母さんを置いていく罪悪感」につながります。

2.2 お母さんを置いていく罪悪感

私はお母さんの機嫌を取る中で、兄弟の不安を取ろうとバランサになる中で、「お母さんのためにと自分を捧げよう」と心に決めていました。自分のやりたいことはさておき、家族を守ることに身を捧げることを決意しました。こうして「理系の研究者」となる私が現れるわけです。私は当時の私なりに、頑張ってそのあり方を実現します。花形の職業について、外から見れば「成功」しているかたちとなりました。人に恵まれ、金銭的にも恵まれ、物質的にも豊かでした。一見、なりたい自分を実現した、自己実現した人のように見えました。しかし、私の心は乾き切っていました。日常生活では「なんのために働いているのだろう」と感じました。無気力感と虚無感にさいなまれます。機械のように働いては寝るという、気持ちが動かない、ときめかない、何をしても楽しくない、自分はロボットにでもなったんじゃなかろうか、という世界にいました。

私は例えばディズニーランドにいるのに明日の仕事のことを考えるタイプでした。大好きな動物さんとふれあいに動物園に来ているのに、何時までに帰らないと明日の仕事に響く、なんて考えるタイプでした。その楽しんでいる時の中で、どこか夢中になれない人でした。

他にも資格を取ろうと頑張ろうとするところがありました。人からの見られ方を気にしたり、自分には何かが足りないと感じるところがありました

更に、子供が苦手という側面がありました。特に赤ちゃんや2歳くらいの無邪気な子供が苦手でした。動物は大好きでしたが、赤ちゃんは好きになれませんでした。これは「言葉が話せず意思疎通できないからかな?」と長いこと思ってきました。しかしそうではありません。私は無邪気である人の姿にイライラしてしまうのです。これまで子供のように振る舞えず、抑圧してきた自分の心が反応してイライラしてしまうのです。無邪気な子供を見ると自分が投影され、自分がそうしたかったけど叶わなかったあり方がそこにはあって、怒りを感じてしまうのです。

私は自分を押し殺してお母さんの話を聞いてきました。ずっと頑張ってきました。それをお母さんに認めてほしかった、気づいてほしかったのですが、叶わずにきました。私がリラックスしていると、恩着せがましくなるお母さん。私が楽しそうにしていると、あなたは良いわねというお母さん。私が見てみて〜と甘えると、良いわね、と言うけれども、目が笑っていないお母さん。私は私らしくあると、お母さんにその状態が受け入れられませんでした。

そうして自分らしくすると受け入れられない状態であったことから、親を超えて幸せになってはいけないという感覚を得るようになりました。私が楽しそうな時、私が嬉しそうな時、お母さんは良いねとリアクションしてくれます。しかし、目が笑っていないのです。本心では良いと思えていないのです。こうして私は自分が幸せな状態になると罪悪感を抱くようになりました。自分がどこか悪いことをしている気持ちになるのです。よかったこと、楽しかったことをお母さんに報告して、私は受け入れられたかった。ポジティブな状態だけではなく、ポケポケとお昼寝している、ちょっとチートデイみたいなかたちで漫画を読んでいる、そんな自分も受け入れてほしかった。しかし、それがかなわなかったのです。お母さんはお母さんを置いて幸せになる娘を受け入れるほどの心を余裕を持てていなかったのです。

3.抑圧した気持ちが「頑張ってしまう自分」を作り出す

私はこうして心に絶望感、無価値感、罪悪感を抱えたまま、サラリーマンを辞めました。一生懸命頑張って、自己実現のため、自分のため、家族のための思ってやっとこさ実現した「理系の研究者」という安心できる自分のラベルを剥がしました。

時間もお金もフリーになった中で息を吸うようにできるゲームを作ることをしても、なぜか不安な人に舞い戻っていたのは、心に「絶望感、無価値感、罪悪感」が残っていたからでした。自分の幼少期や自分自身の感じ方を見つめ直して、今の私は自分について、上記のことに気付けています。自分のありのままを受け入れて欲しかった、認めて欲しかった、と切実な想いを持っている自分を認知するに至ります。

このことに気づいてから、私はゲーム作りを中断しました。そして「自分の感覚を知る」「自分で選択し決定する」ということを意識して生活しています。具体的には、「夕飯作ってそろそろ食べないと」と思うけど、気持ちが乗り気にならない場合、「そんな日もあるか」と思って夕飯を見送ったり、外食で済ませたりします。

3.1 自分の感覚を知る

そういえば、こんなことがありました。私は以前から「ご飯を作る」ということが極端に抵抗がありました。しかし健康に対する意識は高く、普段からヨガをやったりしている自分がいるのに、ご飯だけは作ることが億劫でした。なんでこんなに抵抗を感じるんだろう?と考えてみたのですが、私は無意識のうちに「ご飯を作ることは貧乏な人がやることだ」という潜在意識があったのです。つまりご飯を作ることは自分が貧乏だということだ、と自分が認知してしまうということです。別に貧乏であってもお金持ちであっても、ご飯を作るということはそれとは関係しないのにも関わらず、です。私はこれに気づいてからは、なぜか自発的に自炊ができるようになりました。「ご飯を作ることは貧乏な人がやることだ」という潜在意識を持っている自分がいる、ということに気づくだけで、抵抗感がなくなったのです。

他にも私は赤ちゃんや子供が苦手でした。動物さんは好きなのに、人も好きなのに、どうして赤ちゃんは好きにならないんだろう、抵抗を抱くんだろう、敬遠しているんだろうと思っていました。そこで、自分の幼少期を思い出し、お母さんの話を自分の心を抑圧して聞いていた、子供らしい子供時代を過ごすことができていなかった、本当は無邪気に過ごしたいと思っている自分がいる、ということに気がついただけで、赤ちゃん嫌い、子供に対する抵抗感がなくなったのです。

3.2 自分で選択し決定する

このように「気づき」だけで「抵抗を感じて避けてきたことができるようになる自分」がいることに気づいてからは、「意識して選択する」ことを始めました。たとえば「パソコンを触ることは少し面倒だと思っている」という自分に気づいたら『「パソコンは触らない」という選択を自分はしている』という意識を持つようにしているということです。先ほどの「ご飯が作ることが面倒だ〜」と思っている自分がいることを見つけたら「今日はご飯を作らないで買ってきて済ます!という選択をしている!!」という意識を持つのです。これまでの私なら「なんとなく作らんでいいや〜」となって、別に意識なんてしません。むしろ、意識すると「やっていない自分」がいる気がして、なんか悪いことをしているような自分がいる気がして意識しないようにしてきました。

しかし、これを続けているといつまで経っても「自分の人生を生きるという意識が薄い」ままです。家庭環境で絶望感、無価値感を持ったのは確かですが「自分の人生は自分で変えられる、選択できる」という感覚で、私は自分の絶望感、無価値感を癒そうとしているのです。

3.3 人生を前に進めていくために

誰しもトラウマがあると思います。傷ついたことがあると思います。傷ついたことがあると思います。しかし、いつまで経っても、「自分は親ガチャに失敗して、散財な人生を生きている」「どうせ自分には何も変えることはできない」「なんか無気力すぎて今日もベットから動けん」などあると思います。疲れて、もうどうしようもない、絶望の淵に立っているような感覚にさいなまれることがあると思います。

それでも人生を前に進めていくための解決方法は2つで「過去を扱う方法」と「過去を扱わない方法」です。私はこれまで、自分の分析癖を活かして?過去を扱わない方法として、世の中の傷ついた人のあり方、その行動パターン、思考回路をまとめてきました。過去を扱う方法としては、私の実体験をありのままに書いてきています。時には今感じていること、時には昔に起ったことなど書いてきています。そしてその感じ方をこのnoteに残してきたつもりです。なるべくありのままを表現してきたつもりです。しかし、逐一、自分の気持ちを直視したくない、とか、虚栄を張ったりしている自分がいるのも事実です。しかし、そんな自分に気づきながらも、ここまでやってきています。まずはその事実を認識して。その後に受け入れられそうなら、その事実を受け入れて…というかたちです。

私は今回の自分がどこか「頑張ってしまう自分」になぜなるのかを自分で気づくために、多くの本を読み漁ったり、自分の感情に触れにいったりしました。そこでキーワードだなと思える単語は次の通りです。

#アダルトチルドレン 、#無意識、#潜在意識、#ダブルバインド、#見捨てられ不安、#お試し行動、#ドリームキラー、#自己肯定感、#自己重要感、#愛情、#投影、#被害者ポジション、#人にこたえる、#人の裏の心理に気がつく、#人生は死ぬまでの暇つぶし、#他責思考、#期待コントロール

いつまでも親のせいだ、自分は悲劇のヒロインだ、自分には何もできないと嘆くこともできます。そうして人生を終える人もいます。私は人のせいにできるし、ずっとそこにとどまることもできるけど、自分の人生は自分で切り開くことにしよう、と勇気を持って決断しました。本当に過去は辛かったし、弱っていて、今だってうまくいかないけど、それでも自分に問いかけ続ける覚悟だけは持ったという状態が今の私です。

アダルトチルドレンはサラリーマンを選び、自分の人生を生きようとしない(自分で選択しようとしない)、人の役に立とうとしてしまう、大切な人を見放す、裏切るような気持ちが湧いてきてできない、自分のことをわかってほしいと思う、など、上げ始めたらキリがないのですが、あれこれ知見ができました。ここで気づいたことは、自分の気づきとして忘れないようにしたいので、また同じような内容をnoteに書こうと思います。私にとって、人に話したり書いたりすることは、自分の中に刷り込む方法としてなかなか有効だからです。

長くなりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました〜!



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