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#03:私たち「他人同士」…そこから気を配り培って育んできた『仲良し夫婦』

兄弟姉妹でも、仲良くしていくことはなかなか難しい。
夫婦となれば、長い間仲良くいることはより難しいといえる。お互いに気を配りながら気をかけ合いながらでないと上手く付き合っていくことは至難の業だと思う。
加えて、姑さんのことも絡んでくるとより一層難しくなる場面も増えてくるものです。
私の時代は、嫁姑の問題もいろいろある時代だった。

なので、夫婦、家族で話し合いしながら一緒に乗り越えていかないと1人で抱えていたら壊れてしまうだろうと感じていた。
もし、今の時代に当時の年代を過ごしていたら、なかなか気持ちを強く表現することが難しい時代背景があるから、鬱っぽくなっている可能性もあっただろう想像する。
当時の私の時代では、鬱々と抱え込んでしまう手前に爆発があった!
思い返すと、よく私も爆発して家出もどきのようなことをしてしまったこともありました。
そんなときでも、主人は他人からスタートした夫婦関係のわたしにも、しっかり気をかけてくれていたので、姑との同居も何とかうまく乗り越えていけました。

そうはいっても、やはり難しい状況はできてしまい、結局私達は姑との同居を解消する形で核家族となりました。
でも、核家族となる前から将来の事も含めていろいろ2人でしっかり話し合って決めるこをしてきていました。だから、こんな状況を迎えても夫婦として思い合う関係でいれたことは私にとってもありがたかった。
「寄り添ってくれるパートナーがいる」、そのことを実感する一面だったからです。
大きくても、小さくても何かトラブルに向き合う場面がでてくるごとに実感します。

そもそも、主人と結婚する時に「お互い友達のように長く付き合おう」と言われていたので、何となく気持ち的にも相談しやすかった。他人が私に気をかけてくれた、このことを家族以外で特別実感できたのは主人が最初の人でした。なので、私も主人を、一番に大切にしよう、そう心がけてきた今につながっていきます。
主人のことを1人の「ヒト」として尊重する想いの強さがあったからか、我が子に対しても、預かっている大切な命という思いで、より向ける気持ちに大事がこもっていたのかもしれないかなぁと思ったりもします。子育てについては、私だけの想いを優先して勝手に育てる方針を決めていくのは違うかな?というふうにも、当たり前のように私の中にありました。

主人と私、私たち夫婦のスタートがこんな感じだったので、相手に伝えたいことがあるときも思考を巡らせて、考えながら伝えていました。
言いたいことをそのまま相手にぶつけて喧嘩になってしまっていた両親をよく目にして育ってきたこともあって、主人との「夫婦」は私の想像とは違いとても新鮮な感覚でした。

気を配るとか、気をかけるとかといったことは、それらを意識しておくことで、ほんの 少しばかりの薄い壁がある感じのコミュニケーションって雰囲気があって、私にはとても心地よかった。
何でも思いつくままに言い合って、弾丸のように言葉が飛びかっていた幼い頃とはちがう。
主人と私の夫婦から始まった家族のコミュニケーションは、何でも言い合えるのが普通として成り立っていました。

私には1人妹がいます。思春期の頃は妹ともケンカになることもあって、あまり仲が良いとは言えませんでした。今思うと、これもきっとどちらも言いたいことを言い合って、ぶつけていて、お互いの気持ちなどまだ考えられていなかった私がいたのだと思います。

そんなことも、経験から気づくことができたのはとても有り難いことでした。

こういった経験の積み重ねがなければ、今頃私は自分勝手に生きることを選択していただろうと想像します。

妹ともお互いに家族ができて、考えも変わってきて、今はとても仲良くできています。

改めて、コミュニケーションとは相手が受け取ること、そのことに意識を向けることにあると思う。
相手がどう受け取るか、それを考えてこそ、より良いコミュニケーションができて、より一層良い関係性が保たれるのだなと感じます。
今回の記事を書きながら、改めて2人が作っていく「夫婦」は、他人だからこそ余計に気を配り合うこと、相手を思いながら伝え、コミュニケーションを心がけること、これらを日々積み重ねてこられていたのかなぁと、自分の歴史に含まれているしあわせにもフォーカスできた時間にできました。
最後まで読んで下さってありがとうございます。

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