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#01:幼少期の経験を振り返り、学んだ夫婦仲良しのコツ

こんにちは。夫婦や家族のことを大切にする想いを伝えようとすると、私の生い立ちからの経験を振り返り、思いを綴っていきたいと思います。

私の両親は信仰心が高く、宗教的な活動に熱心でした。
そのため、生まれながらに自分の意思とは関係なく、信仰をもつ家庭環境は仕方ないと思っていました。

宗教に献身的な家に生まれたため、小さい時から「人として」とか「成長」などといったことばは日常的に聞かされていました。なので、私の考える癖は幼い時期から身につけられていたのかもしれません。

そして、両親は子どもの私にとって好ましくないことが降りかかると、「成長」や「業」などといって、「前世で罪を犯してきた」や「あなたが悪い」と私が自分自身を責める考え方を強いられた時もありました。

そして当時、両親の仲はとても悪く、一週間何事もなく平穏に過ごせることは少なく不安定な日々でした。夫婦喧嘩が日常的で、とても生きた心地がしなかったのを覚えています。幼い私とさらに幼い妹、二人でいつも恐怖に震えながら祈っていました。「早くこの時間が過ぎますように」。

願ったところで何も変わらないこともわかった私は、自転車で40分ほど走ったところにある伯母の家に救いを求めに走り出ることもありました。真夜中に一人で…小学2、3年生の小さな子どもがした行動としては、我ながら勇気があった行動だと思います。

子ども頃の私にとっては、両親のケンカは天災のごとく恐怖以外の何物でもありませんでした。信仰心をもつ夫婦がどうしてこの問題を解決できないの??という気持ちも強く残りました。子どもの私には両親にNOということを伝える場も無いに等しいものでした。
だから、私は大人になったら「自分の意志」をとよく思っていました。
そして、両親がケンカばかりなのはお見合いだから仲が悪いのだ!と思い込みもありました。

私は両親を反面教師に結婚相手は自分で見つける!と心に誓って主人と出会い今があります。人生100年時代、すっかり折り返してしまった私ですが、こんな幼少期の過去から恋愛を経て今に至るわけですが、両親が嫌いなわけではないのです。両親からはもちろん、伯父伯母も加わり4人から愛情をいっぱいに育ててもらった思い出ももちろんたくさんあります。そして、現在の両親は当時のような爆発した元気はなく、仲睦まじく過ごしていて時の流れの不思議さも実感させられます。当時の子供の私には理解できない大人の事情というようなことが、両親の不仲の理由だったのかもしれません。

私は結婚を機に、宗教的なこととは全く関わることはなくなりました。
ですが、幼少期から「人として」とか「成長」などといったことばが日常にあった私は、自分の行動や考え方をフィードバックして考え、さらに深堀したりすることが習慣になっているといえます。だから、子育ても一段落したこともあって、興味があった心理学に本格的に触れ、50歳のころアメリカに渡り実践心理学NLPの資格を取得しました。

心理学を勉強して今まで何となく上手くいっていた夫婦間が、なるほど!と思えるような私なりの法則みたいなものに気づけました。
法則なんて言うと大げさですが、「相手を大切に思う気持ち」です。
相手を大切に思う気持ちを大事にしながら、自分のエゴを差し引くと慈愛になる感じがします。慈愛は慈しむこころ、何とも難しいのですが。慈しむとは、いとおしむ事や子どもを思う心……などとも書かれています。
本当に理解している人は言葉にしないのかもしれない。その人からにじみ出てくるものなのかな?とも考えたり。
とにかく、自分勝手でなく無償の愛とでもいうのでしょうか。なかなか、そこまで辿り着くのは険しい道なのですが、近づく努力はやってみようと考えていきたい。
偉そうに書いてはみたものの、こんな文章を主人が読んだら「嘘!!!」と言うだろうな(笑)。
もちろん、きれいごとだけで夫婦間は上手くいかないけれど、お互いへの思いやりはしっかりある。気を配って今まで重ねてきた夫婦の歴史。近所でも、なかなか夫婦仲が良いといわれていて、ちょっぴり照れるものの少し誇らしくもあったりします(笑)。

私は夫婦仲が悪かった両親のおかげでいろいろなことを学ばせてもらいました。人は、コミュニケーションから受け取る情報はさまざまで、人それぞれの受け取り方があるのだと思います。コミュニケーション能力を高めてお互いを補い合って成長していけると、上手に仲良く楽しみながら暮らしていけるのかなと思います。
私の幼少期の思い出にお付き合いいただいてありがとうございました。私たち夫婦、たくさんケンカもするのですが、夫婦仲良く大切に過ごしている心得みたいなものをもって過ごしてきたので、次回はそれについて書いてみます。

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