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08_1stプロジェクトの始まり 【山の日本語学校物語】

これは、とある町に開校した「山の日本語学校」(仮名)の物語です。ITエンジニアの専門日本語教育、プロジェクト型のカリキュラム、地域との連携などなど、新たな言語教育の実践とその可能性について、当時の記録をもとに綴っていきます。最後までお付き合いください。

この連載を始めるに至った経緯については、「00_はじめに」をお読みください。

前回(07)では、第1期生の入学までについて書きました。開校までの準備に手間取り、授業が予定通り開始できなかったという波乱万丈の幕開けについて触れましたが、今回は、そんなバタバタな中で始まった第1回目のプロジェクト(1stプロジェクト)について書きたいと思います。

カリキュラムの可視化という課題

これまで「山の日本語学校」では、テキスト等は使用せず、プロジェクトだけでコース全体を構成したということを説明してきました。(「コースデザイン」については、06をお読みください)「テキストがない」ということは、私の頭の中にある構想が、カリキュラムのすべてになります。大学のようにコースを一人で担当していれば、頭の中にある構想だけで実践することは可能です。しかし、日本語学校のように複数の講師が一つのクラスに関わっていることを考えると、頭の中にあることをできる限り可視化し、共有していかなければなりません。

私が泣きを入れて、授業開始日を遅らせたのは、この「可視化」が全くできていなかったからです。幸い、私の考えていた日本語学校のコンセプトに共感し、理解してくださる講師と巡り合うことができ、信頼してお任せすることも可能でした。それでも、それぞれの思い描いていることが、本当に一致しているとは限りません。私が授業日を遅らせてまでして、カリキュラムを可視化し、共有することを優先したのは、このような考えがありました。

カリキュラムについては、口頭でコンセプトについて議論し、共感を得ていたものの、そもそもこれまでと全く異なるコースデザインをもとにカリキュラムを組み立てていくわけですから、理解の齟齬がないよう、できるだけ詳細に伝えていくことが必要だと感じていました。特に、初めてのプロジェクトですから、ここがずれてしまうと今後の運営全体に影響してしまうと考えました。可視化ができていないと、疑問点や納得できない部分があっても、それを確認することすらできません。

こういった考えもあり、授業開始前に作成した資料は、今改めて読み返してみても、詳細なプランが記されており、全体像がわかるようになっています。そこで、今回は、講師と共有するために作成した資料と、学生に説明するために作成した資料を、当時のまま引用し、1stプロジェクトの計画について説明しようと思います。(といっても、資料の中には、固有名詞がたくさん出てくるので、その部分は、加工し、仮名に置き換えます)

1stプロジェクトの概要

まず、1stプロジェクトの概要を説明します。当時の資料では、「プロジェクトの概要」として、以下のように説明していました。

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