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昭和30年代男 日本経済を愚痴る(3)

 いや、1990年代以降の日本で経済成長、景気拡大を真剣に求めていなかったなどという風潮なんて感じたことなどない!・・・と、お考えの方も多いかもしれません。
 でも、バブル景気を親の仇のように退治しまくった「平成の鬼平」こと三重野日銀総裁(当時)の政策に喝采を送っていませんでしたか?
 大蔵省(当時)の不動産融資に対する総量規制はいつまでも続けるべきだと思っていませんでしたか?
 住宅金融専門会社・・・略して住専の不良債権処理に6850億円の公的資金を注入することに大反対しませんでしたか?
 今でこそ地価高騰を抑止するために強烈な金融引き締めをおこなった当時の日銀がバブル崩壊の元凶とされていますし、必要以上に長く不動産融資を規制していたことが不良債権の膨張に輪をかけ、結果として金融機関の不良債権処理には数十兆円もの公的資金を注入するに至りました。これらはいずれも後に冷静になって考えてみれば愚策でしたし、住専問題は些末なことに無駄な騒ぎを繰りひろげて時間を浪費したものだったとわかりますが、当時は若造だった私よりもはるかに人生経験豊かな人々が口泡を飛ばすかのように愚策を擁護し、些末なことに色をなして反対していたものです。これはその時々の国民が愚かだったというわけではなく、マスコミが過度に煽るか、あるいはそんなマスコミを政策当局が唆したか、おそらくその両面から「風潮」が醸成されたのではないかと思います。
 そんな「風潮」が、早すぎる金融引き締めと消費増税や社会保険料アップを容認しながら、2024年の現在まで続いているように感じます。どうせツッ込まれるところなので先に申しますが、あくまでも私の感想です。
 タイトルに貼り付けたグラフのとおり、諸外国には失われた30年なんかありませんから、1990年からの諸外国の賃金は順調に伸びています。問題なのは名目賃金だけでなく、実質賃金でさえ諸外国では順調に右肩上がりで伸びていること。これは、諸外国ではこの30年間で確実に国民が豊かになっているのに対し、日本人は豊かになっていないということを如実にあらわしています。
 こんなグラフを見たら、日本経済を愚痴りたくなりませんか?
 私は二流三流の私大文系卒、二十代で転職もし、結婚もして、1990年の時点ではようやく安定したサラリーマン人生を歩んでいたところでした。そんな「安定」したと思っていた私ですが、21世紀になって間もなく勤めていた会社が他社に買収されて買収先に転籍となり、その買収先の会社になじめず四十代で再び転職した結果、管理職になれずに定年を迎えました。生涯ついに年収800万円には届かず、何度かもらった退職金の合計は1200万円ほどです。
 この待遇を、本稿をお読みの方々はどのようにお感じになりますでしょうか?
 管理職でもないのに年収800万円近い給料だったなんて羨ましい、1200万円も退職金があって何が不満なのか、会社が消滅して放り出されなかっただけでも幸運ではないか・・・等々、私のサラリーマン人生の待遇は愚痴るほど悪いものではないと思われる方もいらっしゃることでしょう。私自身もそう思って自らを納得させています。
 でも、私が1990年時点で勤務していた会社に定年まで在籍していたら、50歳前後から定年までは年収1000万円で推移し、退職金も2000万円ほど貰っていた可能性が高かったです。もちろんこれは給与水準や退職金の計算方法が1990年代から令和の今まで継続していたらという前提あってのことであり、仮に現実のように経営が立ちいかなくなって他社に買収されずとも、失われた30年の過程で給与水準や退職金規定の見直しで、最終的には定年まで同じ会社に勤めていたとしても現実の給与や退職金が変わってしまい、結局年収も退職金も現実と大して変わらないか、下手したら現実より低いか・・・となった可能性も当然にあるわけです。
 1990年代は会社も何かと苦しい時期であり、多くの社員が転職していきました。そうした転職組も悲喜こもごもでしたが、私は二十代に二度も転職をしていたせいか、当時これ以上の転職はしたくありませんでした。しかし、結果として転籍を余儀なくされ、更には、したくなかったはすの転職も四十代でするハメに陥ったわけです。
 日本経済の失われた「30年」がまだ10年にも満たなかった1990年代、ほかに選択肢が無かったのか、愚痴りついでにつらつらと考えてみたいと思います。


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