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辻村深月『朝が来る』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2022.08.05 Friday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

永作博美✖井浦新✖蒔田彩珠✖河瀨直美監督の映画『朝が来る』を観て、どうしても読みたくなっていた原作本でしたが、やっと手に取りました。

長く辛い不妊治療の末、自分たちの子を産めずに「特別養子縁組」という手段を選んだ栗原清和・佐都子夫婦と、中学生で妊娠し、断腸の思いで子供を手放すことになった幼い母ひかりの物語で、出産を機に歯車が狂ってしまったひかりの六年間の人生も織り込まれていきます。
(図らずも、また家族の形を探ろうとする物語を手にしていたことに驚きました。)

「特別養子縁組」で子供を迎えるにいたるまでの栗原夫婦の葛藤と覚悟が、きれい事ではなくしっかりと描かれていて、息子に真実告示もした上で、やっと手に入れた幸せな生活を、眩しく感じながら読み進めました。そんな彼らの前に訪れる、「息子を返してほしい」という6年後のひかり。栗原親子の生活を脅かすものとして登場するひかりの真意が何なのか、彼女の背負った人生があまりにも悲惨で救いがないこととも相まって目が離せなくなっていきました。

しかし作者は、産みの母と育ての母の対立を描こうとはしません。ストーリーの中で、佐都子夫婦が、あまりにも変容したひかりに気づくことができず、朝斗の母親を軽んじられたと怒り、拒絶する行為は、一見、ひかりの存在が否定されたようでしたが、ひかりにとっては「すでに失った、あり続けたかった自分自身を無条件に信じてくれる」救いを与えてくれる行為として描かれていきます。

実の親からも「失敗」の烙印を押され見放されたひかりが、やっと手に入れることができた「(朝斗の生みの母として)大事に、いたわられる存在として、あの家の一員に加えられている」喜び。それが、現在の彼女が否定されることでしか得られないという彼女の現実に、さらに胸がしめつけられました。

息子・朝斗を初めて抱いた時、「朝が来た」と感じた佐都子。

終わりがない、長く暗い夜の底を歩いているような、光のないトンネルを抜けて。永遠に明けないと思っていた夜が、今、明けた。
この子はうちに、朝を運んできた。

ラストで、何処にも行き場がなく「ここでおしまいにしてもいいんじゃないか」と考え初めたひかりを見つけ出したのは、佐都子と朝斗でした。朝斗の母として、佐都子に抱きしめられるひかり。この後やっとひかりに「朝が来る」のだ、と思わせるラストで、二人の母親をじっと見つめ続ける朝斗の澄んだ目は、これから彼らが一緒に本当の家族となっていく未来を見つめているように感じました。