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次女の骨折

小学2年生の次女が先週水曜日の朝に右肘を骨折しました。

金曜日に手術して

今日久々に学校に行けました。

病院に付き添ったり
次女の着替えや食事を手伝ったり
温灸や糠酵素湿布などのお手当をしたり
心のケアをしたり

次女の世話に手間と時間がかかります。

でも、次女の世話するのは久々で
不思議と嬉しく感じました。

手術の付き添いはかなり自分を試されました。

次女の前で絶対に不安な表情をしないと心に決めて
「大丈夫だよ、安心してね」
と次女が手術台にあがって麻酔で眠るまで
身体をさすり続けました。

けれどもわたしはその間ずっと
心の片隅のほんの一握りの不安が絶対にこれ以上大きくならないように
抑えつけるのに一生懸命でした。

次女が麻酔で眠った後
看護師さんがわたしを手術室から待合室へ案内しました。

病院の中はスタッフしか通れないエレベーターや扉がいくつもあって迷路のように複雑でした。

看護師さんはわたしを気遣って言葉をかけてくださったのですが
次女の眠った顔が思い出されて正直なところ上の空でした。

胸が震えてしまって、涙がこぼれないようにするのが精一杯でした。

看護師さんが待合室から去ってから
涙が堪えきれなくなって
誰にも見えない方向を向いて
しばらく泣きました。

手術をすれば半年後にはまた普通に腕を動かせる可能性が高いので
そんなに心配することでもないのに

こんなに動揺してしまう自分が
情けなくて恥ずかしくて
仕方ありませんでした。

でもこれが自分の現在地なんだとも思いました。

待合室で開いた本は
佐々木正美著
「子どもへのまなざし」

一番最初に開いたページにこのような文章がありました。

物事がうまくいっているときには、家族はどうでもいいのです。(中略)
ところが子ども、子どもばかりにかぎりませんが、
家族の誰かが病気をするとか、けがをするとか、社会でとんだ不始末をついうっかりやらかすとか、そういうときには、家族はみんなで協力し合って全面的に応援します。
そういうときのためにこそ、家族があるのです。
だから、そういうときにはみんながやりたいことを、いっときがまんしてでも、ピンチにたたされた家族のために必要なことを手伝う、応援するのです。

手術当日は数ヶ月前から楽しみにしていた予定が入っていました。

手術の日程が決まった時、
次女の腕のことよりむしろ自分の楽しみにしていた予定が、またもや子どもの都合でキャンセルせざるを得なくなったことが

悲しくて虚しくて拗ねていました。
そんな小さなことで拗ねてしまう自分が嫌でもありました。

だからこの一節を読んだとき、そうだ、と腹を決めました。

いっときやりたいことをがまんしてでも、ピンチにたたされた家族がいたら、ここぞとばかりに力を尽くす家族をつくろうと。

手術が終わって
次女を手術室へ迎えに行き

病室でしばらく休んでいると
段々と麻酔から覚めて意識がはっきりしてきました。

すると次女は突然火がついたように
「痛い!痛い!ママー!」
と泣き叫び始めました。

でもわたしはそれが嬉しくて笑いました。

痛いというのは代わってあげることができず
大変心苦しかったのですが

一つは麻酔から順調に目覚めたこと

もう一つは
それまで、痛いとも、怖いとも言わなかった次女が
「痛い!」ということを
わたしに我慢せず訴えられたこと

それらが嬉しかったのです。

腕を骨折してから5日たってやっと学校に行けました。

今日は国語で詩と絵を描く授業だったらしいです。

けれども利き手を骨折したために、
字を書くのも、絵を描くのも不自由です。

ですから先生は
次女に好きな詩を探すようにとおっしゃったそうです。

次女が気に入ったという詩のコピーが、
カバンの上に置いてありました。

どんな詩が気に入ったのかな?と
何気なく手にとってみました。

絵が気に入ったのか?
何が彼女の心に響いたのか?

わかりませんが

わたしはたまらず泣いてしまいました。


かぜのなかのおかあさん
阪田寛夫

おかあさん

としをとらないで

かみがしろくならないで

いつでもいまの

ままでいて

わらっているかお

はなみたい


おかあさん

ねつをださないで

あたまもいたくならないで

どこかへもしも

でかけても

けがをしないで

しなないで


おかあさん

はながさきました

かぜもそっとふきますね

いつでもいまが

このままで

つづいてほしい

おかあさん



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