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罪のないものだけが石を投げよ

私は昔、松ちゃん (松本人志) が好きだった。

中学時代、『ボキャブラ天国』をよく観ていた。
それでかどうかは分らないが、クラスメイトの女の子に 「『一人ごっつ』面白いから観てみて!」 と言われた。

実はそう言われても、放送時間が深夜帯だったしどう面白いのかよく分っていなかったため、私は実行に移さなかった。


『ごっつええ感じ』は確か日曜の夜 8:00 くらいに放送されていた気がするのだが、数回観てあまり好きなタイプの笑いではないと思い、ほとんど観なかった。
ちなみに『めちゃイケ』も好きではなく、観ていなかった。

とんねるず、ウッチャンナンチャンと当時は番組があったが、とんねるずのノリはまさに今で言う 「いじめ芸」 であったように思えて、安心して観ていたのはウッチャンナンチャンの番組だったかもしれない。

あ、あともっと幼い頃は『志村けんのだいじょうぶだぁ』も観ていたが、今からしたらありえないくらい女性の露出が激しかったように思う。

本当に子供の頃から毎週観ていたため、志村けんが 「第 2 のお父さん」 くらいに見慣れた存在だったので、亡くなったときは結構ショックだった。


何かのきっかけで、『一人ごっつ』が『松ごっつ』になった頃、ようやく録画して観てみたら、これが面白くて彼女の言うことが正しかったことを知った。

私はテレビを持っていないので詳しくはないのだが、『IPPON グランプリ』のコンテンツには、『一人ごっつ (松ごっつ)』から引き継がれているものがあるように認識している。

松ちゃんの書籍も何冊か読んだ。ビジュアルバムも借りたし、『スーパー一人ごっつ』も観た。

『ガキの使い』なども長らく好んで観ていたし、『すべらない話』も好きだったが、いかんせんテレビを持っていないので、一人暮しを始めてからは観る機会がなくなってしまい、松ちゃん関連どころかほかのお笑い番組についてもほとんど知らないまま現在に至る。


「あの」 松ちゃんが結婚をし、筋肉をつけ金髪になり…… 時代は移り変っていったらしい。
いつの間にかテレビには見たことのない人たちがあふれ、「後輩芸人」 らしき人に崇め奉られている松ちゃんを目にすることがあった。

「ずいぶん偉くなったんだなぁ」

と、素直に思った。


しかし、なんとなく私が好きだった頃の松ちゃんではなくなったような気がしていた。
当然と言えば当然だ。人は変るし、私が理解していないのかもしれないし、変っていないのかもしれない。現にテレビも観ていないのだし。

『笑ってはいけない』系も、湯河原あたりでこぢんまりと内輪でやっていた頃の方が私は好きだったが、単純に好みの問題なのだろう。

『ガキ使』では 「山崎邦正プロデュース」・「ハイテンション・ザ・ベストテン」・「松本人志 ○○ 世界記録樹立」・「限界シリーズ」 系を好んで観ていたのを覚えている。


松ちゃんを 「いじめ芸」 と呼んでいる記事があった。
確かに、多分そんなこともしていたと思う。『働くおっさん劇場』は観ていなかったが、まさにそんな感じだったようだし。

東野が売れない時代にダウンタウンに (高級?) コートをプレゼントされ、「わー、ありがとうございます!」 と言ってポケットに手を突っ込んだらダーツの矢が入っていて、それが刺さって痛がるのをふたりが見て笑い転げていた、と東野が言っていた気がする。

↑ 前もって東野のコートを高速道路から投げ捨てていたのか……。


抜粋


しかし松ちゃんの本当の面白さは 「いじめ芸」 ではなかったように思うのだ。あの頃、松ちゃん以上に面白い人はいないと思っていたし (板尾も好きだったが)、お笑いの面では天才だと思っていた。
今こんなに芸人の需要があるのも、または関西弁が関東ないし全国で許容されているのも、ダウンタウンの影響ではないかと思えるのだ。

会社には色々な地方からの出身者がいるが、関西弁以外の人が自分の故郷の方言を丸出しで話しているのを聞いたことがない。
私が知っている中でも入社して 10 ~ 20 年以上、ずーっと関西弁を話している人が 2 人いる。
ちなみに神戸出身のパートナーも上京してそろそろ 20 年くらい経つはずだが、今でも関西弁で喋る。

逆に、大阪出身なのにまったくそれを感じさせないほど標準語で喋る人も知っている。
が、鹿児島や博多出身の人が九州弁で喋ったりしないし、四国出身、北陸・東北の人も標準語で喋っている。

それでもこの状況が許容 (と言うと語弊があるのだが) されているのは、彼らの影響力が大きかったからではないだろうか。


だから、ということもないのだけれど、今回のことは事実なら残念に思っている。
「ショック」 という表現は正しくない。申し訳ないけれど多くの人が 「あの人 (松ちゃん) がそんなことをするわけない!」 とは思っていないのではないだろうか。現に先輩後輩も誰もそのように擁護していない。
だから別に、松ちゃんが既婚でもそのような飲み会をしていたことは一般人の私にとってすら意外でもないのだ。

飲み会や後輩を使った人員確保自体の是非は別として。


まだ事実関係は分らない。ただ、文春の B 子さんの話がもし本当なら、個人的には彼女に強く同情を寄せてしまう。

私自身は 'No' と言うことは苦手ではなく、特にセクハラ言動に対してはかなりキッパリ 「不快」 だということをその場で直接本人に伝えるタイプではある。しかしこれが世の中のスタンダードとは思わない。
そしてそんな私ですら不意打ちで 「無理やり頬にキスされる」 という被害は被ったことがあるのだ😑😑😑

「男性から身を守る」 ということは結構難易度が高い。
その場でブチ切れた私はすぐさま 「会長に言いつけてこの会社を辞める😬」 と言った。このヒヒジジイ🦧 は常務だったのだけれど、会社は家族経営のため実力でそのポジションを得たわけではない。会長は彼の叔父だったのでこの宣言は効果覿面だった。

しかし、6 歳年上だった同僚の女性はこのジジイに 「腰を触られた」 と言っていたし 「(彼女の生脚を見て) いいもん見ちゃった😁」 とか言われていたようである。
「会長の名前出したら大人しくなりますよ」 とは言っていたのだけれど、なかなか実行に移すのが難しかったらしく、私より被害に遭っているようだった。

ただ、この常務は 「オープンに女好き」 だったため、誰にでもこういうことをしていたし、本人に向かって 「エロジジイ」 とか言ったとしても 「テヘ😜」 と返すタイプだったと思う。得をするタイプとも言える。
こういう人より危険なのは逆上するタイプだ。本当に何をするか分らないタイプの。この場合、私は本当に退職していたと思う。


周りを見回してももっと 「空気を読む」 女性は多いし、相手を目上だと思えば思うほど、嫌なことを我慢している人ってかなり多いのではないだろうか。

同じ構造の例で言えば、嫁姑問題だって理不尽なことをされても 「はぁ!?😬」 とか言い返す人は少数派だろう。私はこれ (理不尽なことをされること、そしてそれを我慢し続けること) が嫌なので誰かと結婚したいと思えない。

嫁姑問題も 「尊厳を傷付けられる」 のに 「NO と言え (わ) ない」 という構図は同じだ。「拒否しなかったら襲われても仕方ない」 みたいな考えを目にすることもあるが、これを嫁姑問題に置き換えると 「反駁しなかったらモラハラされても仕方ない」 と言っているも同義にならないだろうか? もちろんどちらもそんなことはない。加害者が理不尽でおかしいのである。

そしてある意味、(私の場合は) 社会不適合者的要素があるゆえ 「後先考えずにその場で嫌なものを嫌だと言える」 ということでもある。

'No' と言うことは結構なストレスがかかることである。だから 「'No' と言うことを選ぶより、受け入れた方がマシだと思った。けど (時間が経ってみると) やはりつらかった」 ということは、想像に難くない。


「どちらに転んでも嫌な後味が残る」 ということは起こりうる。昨日タイについての記事を書きながら思い出したのだが、ひとりである町にソンテウ (タイの乗合タクシー) で向かったとき、同じくひとり旅の日本人男性と同乗することになった。

私は旅先で日本人を見かけても、相手が困っていない限りは話しかけたりしないので多分向こうから話しかけてきたのだろう。二言三言くらいの言葉は交わしたのかもしれない。

なんだかよく分らないけれど (特に意気投合もしていないのに)、目的の町に着いた途端、彼が 「じゃあこれから一緒に回りますかぁ!😀」 と言い出した。

冗談じゃない。
なぜそんな発想になるのか。

せっかくひとりでわざわざ海外まで出て来ているのに、何が悲しくて知り合ったばかりの彼氏でも友達ですらない日本人と、時間とお金をかけて貴重な連休に来た中の稀有な時間を気を遣いながら過ごさなければならないのか。

無表情 & 低い声で 「いや、これからホテルにチェック インしないといけないんで😑」 と言ったら、それ以上は追求されなかったが 「冗談じゃない」 とイライラしながらも、断ったら断ったで多少心は痛むのである。
かといって流されるままにこの男性と観光していたら (特に自分への) イライラは MAX だったであろう。

「どっちに転んでも後味は悪い」 ことは存在するし、なぜ会ったばかりの人にこんなことを投げかけられなければならないのかと多少恨みがましい気持ちにはなる😑 黙っていてくれたらよかったじゃないかと。松ちゃんの件も一緒だと思う。変なこと頼まないでよ、と。

人をコントロールすることはできないので、発言自体は事故として処理するしかないが。


だから、「もっと気を遣う女性」 というのは多分もっと 'No' と言うことに気が咎めるのではないか。私も 20 歳くらいまではここまで厚かましくなれていたわけではないし、みんな色んな嫌な思いをしながら断るスキルを身につけていくのだと思う。

多分、男性として生きていると、自分の不快感と天秤にかけるほどの 'No' を言わなきゃいけない場面ってそんなにないのではないか?
出世街道まっしぐらの人は 「あるある」 かもしれないけれど。

「黙っていたら OK と同義」 というのは非常に自分にとって都合のいい考え方だし、同じことをやられたとしたら絶対文句言うはずだ。


松ちゃんの著書に、男尊女卑的な表現があったように記憶している。
時代としてもそれが許されていた (女性としては許せることではないが) と思う。

ただそれがひとつの考えであり、実行が伴わないなら、そういった思想を持つこと自体はいつの時代でも許されるのではないかと思う。
(それを表現することにはもちろんリスクがつきまとうが)
頭の中まで侵す権利は誰にもないからだ。


海外の 'me too' 運動が日本にも広まりつつあったが、伊藤詩織さんの件では本当に 「被害者が名乗り出て訴える方が損」 かもしれないということを目の当たりにした。
でも彼女は闘い抜き、民事だけれど勝訴したのだ。

「同じ被害者を出さないために」

彼女の目的は一貫して上記だったと思う。だから、彼女を攻撃する同性がいるという事実を知って驚いた。自分たちの首を絞めることになるではないか。
自身はそのような被害に遭っていなかったとしても、自分の友達や娘が被害に遭ったときに、同じように言うのだろうか。

セカンド レイプを許してはならないし、またそれで被害者が黙る前例を作るわけにはいかなかったのではないだろうか。
彼女の動向をしばらく見守っていたのだけれど、本当に勝訴してくれて (といった表現も変だが) 日本の未来のためになったと思う。裁判官もそこをいちばん考慮してくれたのではないだろうか。


個人的には、女性が 25 歳程度になるまでに 「一度もセクハラめいた被害がなかった」 ということは有り得ないのではないかと思っている。
早い人は幼少期からそのようなことを経験しているはずだし、バイト先や就職先には大抵 20 ~ 50 代の男性がいるだろう。その人たちに 1 度でも 「不必要なこと」 を訊かれたり、またはダイレクトにセクハラ発言をされたり、最悪の場合は物理的なセクハラ (におさまらない場合も) を受けたことがない、というのは考えにくい。

この世界は男性中心に作られているため、女性からすると 「なぜこれが許されているのか???」 ということは多々ある。


私はよくゲームをするので、攻略サイトを見る。
特に 18 禁のゲームでもなく普通の RPG なのに、そこに表示されるスマホ ゲームの広告がいかにも 18 禁っぽい内容なのだ。

顔は子供のようにあどけないのに、体は大人だってこんなに発育する人は稀だろうというような容姿を持った女の子に対して、任意の (好きな) 部位を触らせるように誘導する広告。
このゲームを少し遊んだことがあるので知っているが、よくある 「広告詐欺」 である。特にいやらしいシーンは一切なかったように思う。

しかし、女性の自分からすると大変不快に映る広告である。

もちろん、需要があるからこのような広告が存在するのだ。
逆に、「顔は 10 歳くらいで、性的な器官が異常に発達した男の子」 を 「好きに触っていい」 広告が 18 禁でも何でもないページに表示されていたら異常だと思うし、そもそも設定自体が気持ち悪い。

また 「(女性側が) 嫌がっていても本当は望んでいる」 みたいな設定が好まれる場合もあるようだが、女性的視点で言えば嫌なものは間違いなく嫌である。

頭の中まで侵す権利はない、と言ったように、思いたければ自由に妄想すればいいと思う。

しかし、この広告がさっきも言ったように 「18 禁ゲームではない RPG の攻略サイト」 に出てくること自体、何かおかしいのではないかと思う。
18 禁ゲームの攻略サイトに出てくるなら特に問題はないだろう。が、小学生でも見られるサイトにこのようなものが出てくる。
勝手に理想化した女性 (というか女児?) を好きなようにしていい、というものだ。

女性を物のように扱う、と言っても過言ではないのではなかろうか。
そういう考えが容易に形成される背景が揃っている。
勝手に他人の身体に触れていいわけがない。

コンプライアンス コンプライアンス言うが、ここのコンプライアンスがこのままでいい (ということになっている) のは、ひとえに未だに社会の中心が男性であり、「ここまでは良い」 とする基準が男性寄りになっているからではないのか。


長々と描いてしまったが従来の護身術として

  • 男性とふたりきりになってはダメ

  • 部屋に上がるな/入れるな

  • 酒を飲むな

というのは真理だとは思うし自分もこんなことはほぼしないんだけれども、3 つ目は飲み会や友人となら当たり前にする行為だ。自分と同性の参加者が複数人いるならなおさらだろう。
こっちが飲んでいなくても相手が飲んでいたら意味ないし、相手がシラフだとしても力では勝てない。

「女性は当然上記を実行して然るべき。実行できないのなら性被害にあっても仕方ない」 という風潮は違うのではないかと思う。

必須の護身術なら学校で教えるべきだし (でもそうすると中年の男性教師とか今までと同じ目で見られなくなってくるよね?)、力関係で勝てないのに女性個人単位で身を守ろうとしても限界ってものがあるのではないだろうか。
全員に柔道習わせるとか?

ここでスタンガンや催涙ガスが頼もしい味方になってくるわけだけれども、携行自体が禁止されていたりするし、悪用されたらもっと悪いことになってしまう。でも防犯ブザーって直接的に自分の身を守ってくれないし😞 人気のいない所や全員がグルのところで鳴らしても意味ない。
男性の急所だけに有効な護身グッズが出たらいいのかもしれない。

でも男性が主体の社会では生まれないかなぁ😔

おお、でもこんな ↓ 素晴しい商品があるようだ。




松ちゃんの 「司書さんみたいな真面目な子と付き合いたい」 発言は、今までだったら & 特定の人を対象に言ったのでなければ 「好みの指定がピンポイント過ぎる」 ということで笑えたと思うけれど、記事にある内容じゃ笑えない……。女性が同意していないからだ。

奥さんやお子さんを懸念する声もあるが、当事者同士の問題なので外野である私がどうこう言う問題ではないと思っている。


ただ。
やはり 「セカンド レイプ」 だけは社会からなくしていくべきなのではないかと思う。
基本、セカンド レイプをする人たちは当事者じゃないと思うのである。だから 「(その発言を) 言わなかったとしてもその問題をやり過ごせる人」 であると思うのだ。

松ちゃんと被害を受けた人たちの話は、どちらが真実か分らない。裁判で決着したとしても 「真実とされたこと」 が決定するだけで、本当の本当は知る由もないのだ。

しかし、今おこなわれている 「セカンド レイプ」 は紛れもなく現実で起こっており、目撃者が何人も出ている。

当事者にとっては命に危険がおよぶくらい深刻な問題なのに、それをさらに発言だけで死に至らしめることができる行為のおそろしさを、もっと私たちは理解する必要がある。


私はキリスト教徒ではないが、下記のエピソードを知ったときに、その場に集まった人たちもまた謙虚だったのだなぁと思った。
少なくとも 「自分は罪を犯したことがある」 と自認するだけの謙虚さがあったということだ。


私も 「私は石を投げられる」 と傲慢にならないようにしないといけないし、今回の件はどちらがどうというよりは、より良い日本になっていくのがいちばんだ。

告発した人も、多分それを願ったのではないかなと思う。
ジャニーズ事務所の件もあって日本が変り始めている流れを感じている。膿を出す時期なのだと。

「なぜ今さら」 というよりは 「満を持して」 や 「時宜にかなった」 感の方が、私は強く感じる。


ちなみに私は性犯罪をものすごく憎んでいると思う。
自分が深刻な被害に遭ったわけではないが、その理不尽さやそれを抱えてまで生きなくてはならない苦しみを、少しでも想像することはできる。


性被害は 「この世で受ける最大の苦しみ」 グループに属すると思う。
それが何十年も前のことだろうと、その後の人生に一生ついてまわる暗い影を落とすことになるだろう。

不幸なできごとも、人生長く生きていると 「あれがあったから今の自分がある」 と受け入れられる日がいつか来ることもある。
が、性被害に遭った人が 「今はそのできごとに感謝している」 なんて思うことは有り得ないだろう。ない方がいいに決まっているのだ。
記憶を消せたらどれだけ楽か分らないだろう。

性被害をなくすことへの直接的な働きかけは、手段が分らない。でもサバイバーに協力することはできるので、私は毎月ムクウェゲ氏に関係のある団体に寄付している。


本当に性被害がなくなって欲しいと心から思っている。

最近も日本で本当に信じられないニュースがあったが、一体全体なぜそんなことが起こったのか。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」 という言葉があるが、この言葉をどうしても性被害者に言うことはできない。
一体なんの試練なのだ。まったくもって不必要だ。

性犯罪のニュースは絶えない。だから私は 「男嫌い」 になってしまったのだと思う。
もちろん、すべての男性がこんなことをする (できる) わけではないだろう。
道端のガムと同じで、「やる人はひと握り」 なのだろう。
(道端に落ちているガムは、ガムを噛んでいるうちの 2% の人によるものだと聞いたことがある。それなのにあんなに落ちているのだ)

このような男性に迷惑している男性もまたいるのだろう。
たった数 % の人が原因で、残りの大多数が迷惑する。
普通、マイノリティは淘汰もしくは隅に追いやられるはずなのに、犯罪ではそれが逆転する。

「やったもん勝ち」 というのは往々にして発生している。



長々書いてしまったのでもう終ろうと思う。

いただきましたサポート費は、面白い素材の購入費に充てさせていただければと思います。 ご支援誠にありがとうございます (^^)