見出し画像

【社会人とは誰のことだろう】

「社会人」という、なんだかよく意味がよくわからないのに「社会人として」とか、「あなたは社会のために・・・」みたいなことが、誰かが相手を認識(評価)するためのモノサシとして使われていることについて、トイレをしながら思ったので書いてみる。

いまネパールの小さな村から首都カトマンズに戻ってきたところ。もう夜中だ。いつもいつも村のお父さんは「おかわりだよー!」とニコッと笑いながら、ごはんやカレー味のおかずをたくさんを持って僕のところにやってくる。満腹中枢はとっくに「もうだいぶ昔にOK!」と言っているが、お父さんのクシャクシャの笑顔に抗えるはずもなく、僕のお皿はまたスタート時に戻る。そんなことなので、夜中に宿泊先に戻ってきてそのままトイレで「大」をしていて思い出した。村にいたときに思った「社会人」についてのこと。

今日行ってきたネパール山間部にある村には、2年前から通っている。もともとネパール地震の復興支援として仲間に相談され、「じゃあ日本の藍染めを村の産業としてやってみよう!」と言い出しっぺになったので、そのプロジェクトのために通うようになった。年に1回しか来れないので、まさに言い出しっぺでしかない。このことについてはまた機会があるときに。

村では藍染めのプロジェクトの作業をして、そのほかの時間は散歩をしたり、家のための水を汲みに行ったり、家族と団らんしたり、松ぼっくりを拾ってきて木の枝をバットに野球をしたりしている。

今日の午前中は、家の肝っ玉母ちゃんと一緒に、畑で取れた野菜を料理に使うための下ごしらえをしていた。ちまちまと、家の前の畑で腰を折って野菜を採る母ちゃん。体がおっきくて、足が痛いので動作はのんびりだ。畑にウネのようなものはなく、豆やトマトやニラ、にんにく、葉もの野菜が一緒くたに生えている。どれも日本で見るような大きなものではなく、野菜を知らない僕が見たら、ただの草のように見えるものもたくさんだ。

タライに1杯そういった野菜を採ってきた母ちゃん、家の前にマットをしいて、ひとつひとつちぎり始めた。僕も一緒にやらせてもらう。小さいものは根っこをちぎって。育ちすぎたものは、茎の固い部分から上だけを残して、料理する用のタライに入れていく。

見よう見まねの僕はすぐに直された。葉っぱの黄色いところは千切る、この野菜は根っこの近くまで食べられる、これは固くて食感が悪いから茎の真ん中くらいまで。大胆そうに見えて、母ちゃんちゃーんとそういうところ気遣いながら作業しているのだ。

昼と夜の料理の分を終えるころには、もう昼前になっていた。母ちゃん朝には畑にいたから、これだけで半日が終わったことになる。それから料理をして食べて、お昼からは近所の人がやってきて、家のことを何かしら一緒にしながらおしゃべりしていた。日が落ちるころに、ヤギを小屋に入れて、ごはんを作って食べて、少ししたらもう寝る時間だ。こうして1日が終わっていく。

今日ふと母ちゃんと一緒に野菜の下ごしらえをしながらこう思った。この人たちにとって「社会人」という考え方ってあるのかな?

この村のなかで暮らしていたら、やることのほぼ全てが自分や家族、村といった【顔の見える範囲で完結する】ものごとだ。逆を言えば、この人達がやることのすべてが【誰のために何をしている】という、顔と目的がはっきりと見えるものごとで成り立っている。

自分が誰のために何をしているのか。

僕これってけっこう大事だと思ってる。家族であれ、村であれ、社会であれ、具体的な相手のイメージを持ちながら、目的意識を持ちながら行動することには気持ちも入るし、がんばれるような気もするし、それを見ている人にとっても、その姿が生き生きと見えるのではないか。

このことをヨガの先生をしている仲間は「行動に思いが乗ること。それをしている人はみんな美しい。」と言っていて、なるほどなと思った。

僕らはよく「社会人として・・・」「あなたのやっていることは社会にとって・・・」という問われ方をする。僕にとって、自分の教え子や、講演会に来てくれる人や、仲間は顔が思い浮かぶんだけれど【社会】と言われると顔が思い浮かばないのだ。

なので、「僕は○○をすることで社会に貢献しています」みたいなことを言ってしまっていたこともあるんだけれど、やっぱり【社会】をイメージしても誰も思い浮かばないので、具体的に顔の思い浮かぶことや、自分の頭で浮かんだビジョン(イメージ)をカタチにするために行動を起こして見ようと思う。

そんな僕の行動を見た人が「西川昌徳のやっていることは社会にとって○○だ!」みたいなことを言ってもらえたらラッキーだな。日本でも社会人としての居場所があるのかもな、くらいに思ってもう少しやってみよう。

(まだまだ僕の頭は、相手に話す前提でしか言葉が浮かんでこない。書くとこんなにも長くまとまりが無くなってしまう。せっかくはじめたnoteなので、こうしてせっせと書きながら、うまくイメージを文字化できるようやってみよう。最後まで読んでくださってありがとうございました。)


自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!