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地震が起き、明かりが無くなった。

僕の頭のなかは「台風」のことでいっぱいだった。
下川町を出たころ、会う人会う人に「台風来てるから気をつけてね」と声をかけていただく。今年の西日本豪雨をはじめとした水害はまだ終わる気配を見せない。本来、梅雨がないと言われている北海道も今年は「蝦夷梅雨」といって雨ばかりの夏だったそうだ。

台風が来るのは今晩。自分のいる場所からオホーツク海にぶつかる興部町の道の駅にも、列車の車両が旅人の宿泊用に開放されていると聞いていたのでそこを目指すことにした。

案の定というか、なんというか。真っ暗になりながらもライトを点けて、少し無理をしてたどり着いた興部町の道の駅にはたくさんのバイクと2台の自転車。自転車は、すでにブルーシートでしっかりと巻かれていて台風対策はばっちりという感じ。

わずかな望みを地面から拾い上げるようにして、見に行った列車にはすでにぎっしりの人影と寝袋が並んでいた。こりゃどう考えても無理だ。

雨はまだ降っていないが、だんだんと風が出てきている。そのまま屋外で吹きざらしのキャンプをするわけにもいかないから、暗くなった町を屋根、壁をもとめて走らせるが、ひっそりとした小さな町のどこにも迷惑かからず朝までテントを張れそうな場所はなかった。

他の可能性はあきらめて道の駅に戻ってきた。少し屋根のひさしが出ていて、壁がくぼんでいる建物のスペースを見つけてテントを立てた。どうか台風がこっち向きに吹き込みませんように。もうあとは願うことしかできないな。だいぶ冷えてきていたので、サッとインスタントスープにお湯を注いでカラダがあったまっているうちに寝袋にくるまった。


気づいたら朝が来ようとしていた。どうやら台風は思ったほどではなかったよう。勢力が弱まったか、少しルートが逸れたかだろう。テントもそれほど濡れていなかったし、ササッと片付けて朝ごはんの調達にペダルを踏み込む。

昨日とは違って、なんだかモワッとした生あたたかい風が吹き込んでくる。まだ台風が抜けきっていないのか、空ではせわしなく雲が泳ぎ、太陽が射したり、ぱっと隠れたり。


しっかり太陽が登ってしまうころには、すっかり天気も通常運転に戻った。

なんや歩道でごそごそしとるやつがおる。近づいてみると若者がパンク修理をしていた。どうやら新しいタイヤが硬くてうまくホイールに、はまらないらしい。よしよし先輩ヅラを見せられるところだ。なんてことはなく、自分が自転車屋バイトをしているときに教わったまま見せてあげて、彼がそのまま自分で次に直せるようにレクチャーして、札幌にむかうというので僕がとってもお世話になったサムズバイクに行きなさい。連絡しておくから。と別れた。

(この子、約束通りサムズバイクに行ってくれたし、このあと東京であった僕のトークライブにも会いに来てくれた。ええやつ。)

計呂地にも列車ゲストハウスがあるのだ。ここはひと晩500円。しっかり掃除も手入れも行き届いていて、管理人さんはとっても素敵なおじさん。昔はバイクで日本中まわっていたそうだ。今はここの管理を週何回かしながら、旅人と語り合うのが楽しみ。ひとりでも多くの旅人にここを好きになってもらえたらとほがらかに語る。

管理人さんにバイカーに、たまたま立ち寄られた車旅のご夫婦はなんと僕がよく行く群馬県の小学校の先生だったそうだ。あれま世界の狭きことよ。

管理人さんがお返しにと温めるだけで食べられる白ごはんと、静岡のお茶をくださった。夜は、列車に泊まるつもりだったのだが駅長の部屋と呼ばれるちょっとリッチな畳の建物にご招待され、バイカーのみなさんとコーヒー振る舞ったり、ピザやジンギスカンを分けてもらったりしながら楽しく過ごした。まったくもって、旅の空の、いつもの楽しい夜だった。


翌朝は日の出くらいに目が覚めた。iPhoneの画面を開くとメッセージがたくさん届いてる。

???

だいじょぶ?と並ぶメッセージ。地震という言葉を見つけてニュースを開いた。北海道で大きな地震があったらしい。各地で停電しているとのこと。ほんとだこっちも電気が止まってる。

被災地からは大きく離れた場所で揺れは全く感じなかったけれど、しばらく停電が続きそうというニュースに少しだけ心がゆらゆらとする。早く復帰すればいいな。被害もこれ以上出ませんように。

僕は小清水というところにいる仲間のもとへ向かうことにした。




















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