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模範となる異性が最強であればあるほど…

ええと、今回は映画から離れて、すんげえ軽い話題を繰り広げたい。
と言っても、ボキの経験など浅はかなので、アーサー・C・クラークが描くSF超大作に比べるとショボイもんですよ。
しかも、2001年を過ぎてもシーラカンスよろしくで全く進化しないボキの論理など、無能なカスでしかないのも承知だ。

まぁ、能書きはこの辺にしておき、どうでもいい話題から続けるが、ごく一部の方々にのみお伝えしているとても私的な内容が、中学生の時代、学生手帳に梶芽衣子女史とジャンヌ・モロー女史の雑誌の切り抜きを挟み、お守りとしていた。

梶芽衣子 女史
ジャンヌ・モロー 女史

それはなぜか。
異性に媚びない強さに惹かれたのだ。
当時、未熟者のボキはこのような明確な答えなど出るはずもなかった。
それはなぜか、まだまだ、長靴を履いた猫に陥っていなかったからだ。

きゃっ☆

これらは把握できる方のみ解釈して頂くとし、ボキが育った昭和という時代はまだ男尊女卑という習慣が根強く、男は社会に貢献し、女は家庭に収まることが必然とされてきた。
で、そんな時代に『自立』、又は『自律』している異性に心が奪われたボキは、性別を超越した何かを感じたのだ。

何か?!とは…、敢えて言葉で説明する事自体が野暮なだけで、感受性に従えば答えに導かれると長靴を儚い…いや、履かないボキは胸の奥に宿る鏡に従う。

だが、あろうことか、その学生手帳が同級生に悪戯に渡る。
大事に胸に秘めた手帳にも関わらず、不意にどこかに落としてしまったのだ…。
当時、初心(うぶ)なボキは秘め事が拡散されることを恐れた。
その背景には、ボキが勝手に抱く純粋無垢な感情を汚されたくなかったから他ならない。

案の定、同級生らは、「何、このおばさん?!」
「しかも白黒じゃん!」などとなじられた。
だが、未熟者であったボキはそこで悟った。

この当時1980年代はアイドル全盛期であったのだ。
松田聖子女史、中森明菜女史、小泉今日子女史と、名を連ねるとキリがないほど豊作でもあったのだ。
多くの男子生徒は視覚障害でもないにも関わらず、色眼鏡で異性を物色していたのだ。
そう考えると、ボキは欲求の吐口で異性を求めていなかったことに対し改めて真っ当であると感じつつも、正常な人間であると自覚した瞬間でもあったのだ。

わーお!

てな具合でボキは確信を得た。
左脳よりも右脳に従っていると。

あらゆる社会経験を積み、感受性を鈍らせる行為は今後に悪影響を及ぼすと。

それから、恋愛感情抜きに優れた異性を意識すると沢山存在する。
例えば中川翔子こと、しょこたん女史は感性の塊だ。

『恥じらい』こそ無用の産物であると知ったのも事実だ。

次に脱帽をしたのは上原みろみ女史である。

何が凄いって、チック・コリア先生と対等にジャズの道を渡り歩いた時点で脱帽ならぬ、ヅラかせてもらいます!と公言したくなるほど圧巻なる存在なのですよん♪

で、で、最近、心が奪われた存在と言うと…
果物の季節に鈍感なボキが述べると説得力に欠けるが、山口めろん女史かなぁ。

コレでも…いや!コレなどと言うのは失礼極まりない!
実は山口めろん女史は絶対音感を持つ数少ないアーティストなのだ!
そう考えるとですね、音程を敢えてずらしている行為は上原ひろみ女史以上のジャズ特有のアドリブかもしれません。
責任は持てませんが…。

最も偉大なる尊敬に値するする異性は、鈴木涼美女史です。

具体的な理由を述べると、体を張った仕事、又は商売を乱れた行為として言葉にするのではなく、活字離れの方々にも受け入れ易い言葉を適切に操る術に長けていると察したからである。

無垢なものに説明は不要なのだ。
そこに未だボキは惹かれるのだ。
そもそも恋愛は片思いから始まるものでもある。
とどのつまり、恋愛は答えが視える。
故に詰まらないのだ。

そして、見つからない学生手帳を手探りで探す今日この頃である…

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