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波長


人付き合いで最も不可欠な点は波長だと思う。

友人や知人はもとより、異性との付き合いや恋愛対象におけるパートナーなど、貴重な時間を共有するには波長が合わないと持続することはできない。

ここでいう波長とは、英語でいうとフィーリングと答える方が適切かも知れない。
例えば対話を重ねる際、歯車が噛み合わないと動かない時計と同様に物事は進まない。
そうなると、どちらかが飽きるか品定めでもするように、時間の無駄であると感じる。
それでは負の連鎖が続き、健全な付き合いとは無縁の状態だ。
そうなると必然的にどちらかが別れを切り出す。

幸いなことに離婚を経験したことはないが、想像するにフィーリングが成立しなければ、お互いを理解するには難しいということなのだろう。

わーお!

てな具合で、誰もが完璧な人生を送ってきた訳ではない。
こういった事柄を解消するかは別として、邦題『新しい人生のはじめかた』という作品は胸に沁みる映画であるとおすすめしたい♪

個人的には原題の「Last Chance Harvey」がピッタリだと思う。

この作品を簡素に説明すると、不器用ながらも実直に生きてきた男女の物語である。

ハーヴェイ・シャイン演じるダスティン・ホフマンは、テレビCMの音源を提供する職人である。
一方のケイト・ウォーカー演じるエマ・トンプソンは、一人暮らしをする母親の介護をしながら、小説を学ぶ孤独と向き合う女性だ。

ハーヴェイは娘の結婚式に参加するため、ニューヨークからイギリスのロンドンへ向かう。
本来であれば娘の旅立ちを心から祝うことが親の役目であるのだが、ここまでの道のりは非常に困難な現状を歩み、ハーヴェイは離婚を決意し家族の元を去る。

その後、ハーヴェイの妻は再婚し、愛娘と共に幸せな家庭を築くことができた。

こういった背景もあり、娘の結婚式でのヴァージンロードは実の父親であるハーヴェイではなく、義理の父親と歩むと直接娘から告げられるハーヴェイの気持ちは複雑な心境へと追いやられる。

更に追い討ちを重ねるかの如く、ハーヴェイが担当していた仕事がボツとなり、事実上ハーヴェイは失業してしまう。

この作品ではハーヴェイ以上にケイトに関する日常が浮き彫りにされていない。
ここは敢えて説明を省いているのだろう。

一人暮らしの母親は暇さえあると娘のケイトの携帯電話に連絡をする。
特に最近引っ越してきた外国人の行動がおかしいと悩みをケイトに伝える。
母親にとって何が怪しいと感じたのかケイトに説明をすると、やたらとバーベキューを繰り返すことだ。
間接的に聞いたケイトは母親が考えるほど深刻には捉えてはいなかった。

むしろ職場の同僚が孤独なケイトに対しやたらと見合いを勧めることであった。

本来であれば、この二人には関連性が存在しないため重なることはなかったのだが、皮肉なことに二人の世界が時系列に繋がるようになる。

事の発端はハーヴェイがロンドンに降り立ち、急いで娘が指定したホテルへと急ぐ中、空港内で調査調査をするケイトが仕事上でハーヴェイに声を掛ける。
しかし急いでいたハーヴェイはケイトの申し出に対し、冷たい対応で返す。

結婚式の途中、ハーヴェイは気持ちの奥底で解消できないものが優先してからか、その場に居合わす気力をなくし静かに去る。
ニューヨークへ帰ろうと空港に到着するが、乗る予定の便が既に飛びだった後で、仕方なく次なる便は明朝だと告げられたハーヴェイは現実を濁そうと空港内のバーで酒を呷る。

その場に偶然居合わせたケイトを確認したハーヴェイは、冷たい態度で接した女性であると確信する。
ある程度酔った勢いもあってか、ハーヴェイはケイトに対し語り始める。

ケイトにしてみれば職業上、断れることが大半だったこともあり、人の顔や性格も把握することは不可能であった。
そのためハーヴェイが近寄っても誰だか判らない様子であった。

その時、ケイトは小説を手に読みながら対応していたこともあり、ハーヴェイの言葉は非現実のような記号が流れているだけの現象でしかなかったようだ。

ハーヴェイは赤裸々に自身の現状を面白おかしく語ることがケイトに刺さったのか、次第に二人の距離が縮まり自然と赦す仲となる。

二人は他愛のない会話を重ねハーヴェイは事実を語る。
遥々ニューヨークから娘の結婚式には出席したが、披露宴には顔を出さないと。

その理由をケイトが問うと、ハーヴェイは過去の心残りを語る。

ハーヴェイの言葉を信じたケイトは直ぐにでも娘さんの披露宴に出席するべきだと説得する。

ケイトの思惑は見事に的中する。
ハーヴェイが考えていた以上に娘は父親の登場に胸を熱くしたようだ。

この様子を眺めていたケイトは、自分はこの場では用無しであると察すると、その場を去り現実へと帰ろうとする。

披露宴で浮かれていたハーヴェイはケイトの存在がないこと知り、披露宴を後にしケイトを探し求める。

ケイトがエレベーターを待つ姿を確認したハーヴェイは、近くにあるピアノの前に腰掛け曲を奏でるのである。

音に釣られたケイトはピアノの先へと向かう。
するとハーヴェイがピアノの前で演奏をしている姿に感銘を受け、ケイトもまた自然とハーヴェイの元に自然と歩み寄る。

さて、今後の二人の行方が気になるでしょ?
続きは本作を鑑賞して頂いた方がいいっしょ。


波長が合いながらも、一瞬だけいと(意図?それとも糸?)が解れるシーンがある。

一番大事なことに気づいたハーヴェイがとった決断にしてやられる人は少なくないはずだ☆

やはり邦題ではなく原題の「Last Chance Harvey」の方がピッタリと当てはまるでしょ?

きゃっ☆

好きとか、嫌いといった直接的な感情に左右されるのは悪いことではない。
でも、でも、間接的な中にも波長が合う日常も実は埋もれているだけのことなのかも知れない。
物事の全てが正しい訳ではないのだから。
補い続けるからこそ波長を求めるのかも知れないしね🙃

わーお!

それにしても、ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンの成熟した演技はすんげえ素敵だ!

きゃっ☆

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