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認知症の姑の介護体験で感じてきたこと②

先日やっと雛人形を飾ることができた。娘の初節句の時に生家から贈られたものだ。

その木目込みの親王飾りの隣に、かつて姑がデイサービスでもらってきたお雛様も二つ飾った。懐かしい。

12年ほど前の話になる。
当時、末期ガンで入院中の舅の主治医の先生から姑が認知症ではないかと指摘された。

舅が亡くなり、一人暮らしとなった姑は、「リモコンが使えない」「衣替えができない」「あれがない、これがない」と、その度に仕事中の夫の携帯に電話するようになった。

(携帯電話だけは使えたのが不思議だが、姑にとっては「これが命綱」と思っていたのかもしれない。携帯電話の電話帳の一番上に夫の番号を入れてしまったのも間違いだった😔)

夫も姑のことが常に気になって仕事が手につかないと言っていた。単身赴任先から週末帰ってくる夫は、へとへとになっていた。

また、姑は寂しさを紛らわすかのように、以前から好きだったパチンコにのめり込み、依存症になっていた。夫が通帳を見てみると、かなりの金額を注ぎ込んでしまっていた。

お金の管理も危うい感じになっていて、何度もキャッシュカードをATMに置き忘れてきた。(それがいつも返ってくるところが、さすが日本🇯🇵😳)

台所にはお鍋を焦がした跡もあった。火事にならなくてよかったと、胸を撫で下ろした。

度々姑を訪ねて、買い物や、病院に付き添った。まだ末の子も学生で、世話が要った中、片道2時間半往復して、姑のことと、我が家のこと、また自分のしている活動のことと、全てをこなしていくことは、結構体に応えた。

そんな時、私は車で接触事故を起こしてしまった。電話で急に姑から呼び出されて、焦りとイライラが招いた事故だった。

もう限界だと思った。

そんな時、姑が白内障の手術を受けることになり、入院したものの、せん妄が起こり、夫が呼び出された。

私も夫ももううちに来てもらうしかないと、判断した。

白内障手術の後、1日に何回も目薬の投与をしなければならないのだが、姑は、一人で目薬をさせず、
「目薬のお世話をさせてもらうから、うちにしばらく来て」と言って、とりあえず、姑をうちに呼ぶことができた。

そして、引っ越す前に「ちょっとうちに来る前に、健康診断受けておきましょうか」と、少々曖昧な言い方で、何とか物忘れ外来に連れていき、要支援2の認定をもらった。

そしてここから、私と姑のドタバタの同居生活が始まった…

この続きは、また次の機会に…


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