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煙の行方①

ばあちゃんが死んだ。

知るという点では、一瞬だった。
家族からの連絡にその場で泣き崩れたり、一人で悲しみに打ちひしがれたり、電話を無言で握りしめたり、映画やドラマの様な非日常的シーンを想像していた私はというと、それを知った時一人ではなかった。
土曜働いた代わりに月曜休みを取って、一泊二日、高校時代の親友と旅行し、その帰りの足でまだお付き合いを始めて日の浅い彼の家に帰った。お土産を一緒に食べて、海の塩でパサついた髪を撫でてもらいながら深く寝入り、二人分のアラームに目をこすっていたところだった。

多くの人がそうするように、半ば無意識な脳みそとかろうじてfaceIDを作動させられる起き抜けの顔でスマホのロックを解除しSNSを一通りチェックする。溜まっていたLINEの通知が文面で現れて、最初に目に入ったのは兄弟3人のLINEで兄が返信していた、

≪孫としてできることは今日も元気に頑張ること! 7:37≫
≪お気遣いありがとう 喪服は持ってないわ 7:57≫

という文面だった。ぼんやりしていた脳みそをそのまま氷水につっこまれたような衝撃で気づいたら私は、スマホにかみつくような姿勢で彼のベッドの上に正座していた。

家族LINEを開いた。もうその時にはほとんど何が起きたかわかっていた。

≪おはようございます。 非常に残念なお知らせです。 王寺ばあちゃんが今日の3時10分頃に亡くなられました。王寺の家に今日一旦帰って来られるので、お迎えできる様に母と父は今から王寺へ向かいます。≫

3時10分。何してたっけ、3時10分、寝てたかな、寝てたよな、2時くらいやったもんな。ばあちゃんごめんな、こんな時に他人と一緒にいてん、私。と、なぜか彼と一緒にいたことを言い訳するように謝っている自分がいる。彼は何も悪くない。昨日家に真っ直ぐ帰ってたら、ばあちゃん死なへんかったかな。旅行の写真、ばあちゃんに見せよって思いながら撮ってたら、いつか見せられたかな。

23年と少し生きてきて、身近な人の死を初めて経験した私は、要は戸惑っていた。人の死を聞いて最初に抱く感情が悲しみではないこと、最初に起きる反応が涙ではなく記憶をたどるという行為であることに。あれだけ映画で泣く自分が、ばあちゃんの死に涙が出ないということに焦っていた。

幸いにも、というか半ば強引に今日から仕事の休みをもらい、明日明後日と通夜・告別式を過ごす。今日休むかは、その可否も含めて悩み、職場で肩身狭くなる恐れを懸念していたが、そんな時救ってくれたのもやはり家族の言葉なのだ。

長男≪まあ、大事なのは俺ら本人がばあちゃんのために何をしたいか、という気持ちやけど、世間的な常識も考慮しながら、やな≫

≪明日の朝ばあちゃん出かけちゃうみたいやから≫

母≪今夜がばあちゃんと一番ゆっくり顔見て話できるよ≫

冷淡極まりないことをしていた。今朝一瞬で”知った”時から私は、ばあちゃんを”死んだ人、もう動かない人”と認識した。それも無意識に。

亡くなった人は関わった人各々の心の中には生き続ける

場所の問題だ。奈良で会うか、私の頭の中の引き出しにしまってあるアルバムで会うか。ご存命の人と交えて例えるのが不謹慎だったら恐縮だが、感覚として小学校とか幼稚園の時の担任の先生やもう引っ越して連絡を取ることもないかつての同級生を思い出すような感覚と部分的に重なるところがある。

でも本当に会えないし連絡の手段もないという点で、人はその現実に悲しくなる。そんな時に、故人を偲び泣くのだろう。私にはまだ先の出来事かもしれぬが。そんなことを想いながら新幹線に揺られて、私はおばあちゃんに”会いに”行く。最近仕事を頑張っていること。週末に行った旅行のこと。兄の婚約者のなんて美しいかということ。それは兄が喋るか。あと恋人ができたこと。でも不安もあること。小さい頃から電話で「また帰るからそれまで元気に待っててな~」というと

「首なごうして待っとるよ。でももう待ちきれへんから、静岡辺りまで首伸びてしもうたわ。あーやのこと迎えに行ってしまうで」

とけらけら笑ってたばあちゃん。もうすぐ着くから楽にして待っといてな。

〈続〉

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【解説という名の言い訳】
新横浜駅から書き始め、途中泣いたり仕事の追及メールが来たりしながらもうあと30分少しで新大阪駅に着く。

明日のお通夜と明後日の告別式でまた私の感情はこれまでの経験にないくらい揺らぐのだと思う。
正直こんなプライベートな内容を公開することははばかられることなのかもしれない(少なくとも私の家族がこの投稿を知ったら不謹慎だと怒りすぐ消せと言うだろう)。でも消さない。誰になんて言われようと、この記録が本当だから。何年後かに今日を振り返って綴れば、それはきっともっと丁寧で、美しい言葉が選ばれるだろう。でもそれでは無意味なのだ。私にとって。死をこんな身近に感じ、戸惑い、これから悲しみに直面していく。
この記録は誰より私のためのもので、少しでもこの自省録が同じ状況の誰かに届く日が来るかもしれないなら、それでいい。

だから今日からの数日間のことを明日また言葉にしたいと思う。

最後まで読んでくれた人がいたら、ありがとう。辛い気持ちにさせてしまったらごめん。それでも読んでくれてありがとう。


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