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自分が巣立ちしていないのに空の巣症候群になった話


この春、12年間同居してきた姉の子たちが家を出ることになった。

元義理の兄・・・・・と一緒に暮らす目処がたったからだ。


…長かった。

他人事のような感想が浮かんだあと、どうしようもない寂しさがこみあげてきた。



12年前、姉が亡くなったとき、私はひきこもっていた。

姉は離婚していてシングルマザーだったので、必然的に我が家で世話をすることになった。

精神障害を抱えた姉に育てられた子どもたちはネグレクト気味だったため荒れており、正直相手をするのがキツかった。

子どもたちの“愛情の飢え”はキリがなく次から次へと求められ、今振り返ると余裕のなさから大人として不適切な対応も多々してしまったように思う。

(だから、虐待のニュースを見ると絶対にあってはならないと思う一方で、その心情は理解できるところがある)

毎日、生命力をめいっぱい輝かせ生きる子どもたちを目の当たりにして、子どもを育てることはこれほどまでに過酷なのかということを思い知った。

(だから、世のお父さんお母さんは本当にすごいと思う)



当時の日記を見返すと、ほぼ内容が子どもたちのことだった。

自転車の後ろに乗せて習い事に連れて行ったり、熱が出たときは学校まで迎えに行ったこともあった。


姉は生前、「世話はしてるけど、子育てはしてない」というようなことを言っていた。

姉は荒れた思春期を過ごし、暴力沙汰を起こして補導されたこともあった。

二十歳のころに元義理の兄と出会い、授かり婚をした。

しかしその後離婚し、一人で2人の子どもを育てていた。

子どもが生まれてからも、noteでは書けないようなことが度々あった。

そんな背景があったので、私はなるべく姉に更生してほしかった。

異性関係も奔放、なおかついつも仕事で疲れて寝てばかりで寂しそうな子供たちの姿を見て、世代間連鎖を見せつけられているようで胸が痛かった。

いろいろあったかもしれないけれど、子どもたちにとっていい母親になってほしい。

子どもたちだけは、幸せにしてあげてほしい。

無責任な立場から、そう願っていた。


そんな中で姉が亡くなり、姉の子たちを引き取ることになった。

何とも言えない無念さと失意の中で、子どもたちだけは幸せになってほしいと思った。

これは、まわりの大人たちみんなが罪悪感と共に思っていたことだろう。



私はずっと、自分がいくら幸せになれたとしても、姉の子たちが不幸になってしまったら、自分の人生の意味がないと思ってきた。

姉を失ってしまった分、姉の子たちには幸せになってほしかったし、生まれてきたことを後悔させたくないという思いがあった。

そのおかげなのか、もともといい子たちだったからか、姉が亡くなってから12年経ち、2人とも賢く素直で優しい子に育ってくれた。

お世話になった中学の先生方にも“とても優しい子”と評して頂き、友達にも恵まれて、私が学生だった頃とは比べ物にならないほど充実した時間を過ごしている。


もう思い残すことはない。

2人とも成人となり、もう自分たちで考えて行動していける年齢になったのだ。

私が過剰に彼らに対して責任を感じ、あれこれしてあげる必要はもうないのだ。

そもそも、そんなことはもとから求められていなかったのだ。

それを過剰に背負い込んできたのだ。もう卒業すべきなんだろう。


ただ、ずっと一緒に暮らすことはできないとわかっていても、急に家を出るとなると胸に込み上げるものがある。

これが空の巣症候群というものなのか。

実家暮らしの身分で自分自身が巣立つことすらしていないのに、独身女がいっちょ前に空の巣症候群になってしまった。



今までいかに、“叔母”というアイデンティティーが自分という存在の大半を占めていたのかということを、今回思い知らされた。

いつも物事を考える起点が“叔母”もしくは“娘”という立場で、“叔母でも娘でもない私”の存在感は薄かった。

(だからこそ、今になってショートケーキみたいな服が着たいとか、髪をサラサラにしたいとか言い出したんだろう)


これからは、“叔母でも娘でもない私”として生きていく段階なのだろう。

世間では、多くの女性がとっくにこの“私”のフェーズを卒業し、“妻”や“母親”や“自立した女性”の道に進んでいる中で、

私は30代後半になった今、やっと“叔母でも娘でもない私”をスタートさせる段階に来たのだ。


なんだか自分を覆っていたものが身ぐるみはがされて、丸裸にされているような感覚になってしまった。

これからは、一つ一つ自分自身の手で、自分のために身につけるものを選び取っていかなければならない。

ある意味、自分で自分の人生を好きに自由に創造していけると言える。



とはいえ、2人が家を出て行くのは寂しくて悲しくて、考えると涙が出てしまう。

そんなこんなでメソメソしていたら、ハイヤーセルフに励まされた。



泣くほどのことじゃない
絆が無くなるわけじゃない
あなたの優しさはちゃんと伝わってる
あなたのあげた優しさが彼らの支えになる
できることは全てやってきたのだから
あなたはあなたのことに集中して
あなたはもっと多くの豊かさを還元していけるのです
そのきっかけを彼らはくれたのです
彼らのおかげで、あなたは豊かな人になれたのです
泣く暇があったら、彼らに感謝しなさい
そして自分のやるべきことに目を向けなさい
まだ旅路は始まったばかりです
彼らから教わったことを胸に
今度はもっと多くの人に愛と光を届けていってください


…相変わらず私のハイヤーセルフはスパルタである。

この言葉を胸に、自分にできることをやっていこうと思う。



2人には、引っ越す前に『生まれてきてくれてありがとう』と伝えられたらいいな。

(たぶん涙が出てきて言えないだろうけど)



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