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勉強の時間/はじまり


引退して暇になったら、好きな本を読んだり、思いついたことを書いたりといったことを楽しみながら暮らそうと、若い頃から考えていました。

しかし実際に引退してみると、老後というのは若い頃に考えていたような、リラックスして知的な楽しみに耽る生活とはかなりちがうということがわかってきました。

びっくりしたのは、自分が思っていた以上にバカで何も知らないということでした。

仕事に追われながらも、それなりに本を読んだり考えたりしてきたので、世の中や歴史について、基本的な知識や理解はあるつもりでしたが、時間ができてそうしたことをもっと深く考えようとしたとたん、自分の基本的な知識や理解がかなりいい加減で、そこを土台にして掘り下げていけるようなものじゃないということに気づかされました。

仕事に追われて余裕がないという言い訳に甘えて、いろんな難しいことを安直にうわべだけ理解して、わかったような気になっていたんでしょうね。

こうなると、あらためていろんなことを勉強し直す必要がありそうです。

若い頃に覚えた定説や常識みたいなことの中にも、その後新しい発見や、考え方が出てきて、通用しなくなっていることがたくさんあります。

たとえばエジプトのピラミッドは以前、王様や貴族、神官などの支配階級が、民衆をむりやり駆り出して、ムチで打ちながら建造したと思われていましたが、その後の発掘や研究で、建設労働者には住居やビール、食事が与えられていたことがわかってきたようです。

ピラミッドは王のわがままで造られたお墓ではなく、単なる宗教的な建造物でもなく、農閑期に農民を養うための公共事業みたいな機能を持っていたんじゃないかと考えられるようになってきたとのこと。

古代エジプトで、民衆をムチで打ちながらピラミッドを建設していたというイメージは、昔のハリウッド映画『十戒』にそういう場面が出てくるところから広まったという新聞記事を最近読みましたが、僕の記憶をたぐってみると、そういう古代のイメージは、僕が物心ついた1960年代あたりからごく最近まで、一般常識として根付いていましたし、たぶんもっと前からそうだったんでしょう。

19世紀から20世紀にかけては、進化とか発展というものの価値が無邪気に信じられていて、近代は古代や中世より進化しているから優れているというのが常識みたいになっていたのかもしれません。

何千年という人類の歴史を、たかだかここ200年くらいのあいだに出てきたものの見方でとらえて、それが絶対的に正しいと信じていたわけです。

しかし最近では人類の進化や発展が、環境破壊とか格差拡大といったものを生みだしていて、地球の環境や人類の存続を危うくしかねないことが、広く認識されるようになっています。

もっと謙虚で冷静な視点、いろんな事情や立場の違いを踏まえた多元的な視点から、いろんなことを見直していこうという動きが、色々な分野で生まれています。

ものの見方や考え方は時代とともに変わっていくし、同時代でも地域や立場によっていろんな価値観があるということです。

勉強し直すとしたら、そういうものの見方とか考え方の変化や、多様性も見ていく必要がありそうです。

自分なりにいろんなことを勉強しながら、自分がどんな世界に生きていて、どこへ向かっているのかといったことについて、考えてみようと思います。

もちろん、そういう大きなテーマに正解はないですし、学者とか知識人のあいだにも色々な意見がありますから、素人の僕に何か結論が出せるわけではありませんが、いろんな考え方を勉強しながら、自分にとって何かしら発見したり、謎だったことが腑に落ちたりといったことがあればいいなと思っています。

歴史や思想、政治学とか人類学とか精神分析学とか、学術的な世界は広大ですから、難しい専門的なことをどれだけ理解できるかわかりませんが、素人なりに理解できることを理解して、わからないこと、知らないことは次の勉強の課題にしながら、勉強を進めていきます。

「これが正しい」と確信できないことも多いでしょうから、そういうときは、いろんな意見を参考にしながら、「こういう見方もあるな」「いや、こういう考え方もあるんじゃないか」という感じで、自問自答するかもしれません。

ひとつのテーマのまわりをグルグル回りながら、同じことについて何度も考えたり、考えを修正したりするかもしれません。

ひとつのテーマについて書いているうちに、別のテーマについて考え始め、並行して書くようになるかもしれません。

知識人が論文や本を書く場合は、ちゃんとした理論や定義があって、しっかりと構成を組み立てて、自分の考えを世界に提示するんでしょうけど、素人にそんなことはできません。

ものを知らない一般人が、少しずつ勉強しながら、自分なりの世界を広げていくといった感じの読書日記、エッセーみたいなものになればいいかなと思っています。

「勉強の時間」というのは、あくまで僕自身が勉強する時間という意味で、読んでくれる人に何か教えようとか勉強してもらおうということではありません。

よかったらおつきあいください。


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