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三千世界への旅 魔術/創造/変革21 キリスト教の「魔術」4

価値観の転換が生んだパワー


ユダヤ人が古代から文化的にも、経済活動においても創造的な民族だったのに対して、民族や国を超えて広がったキリスト教徒はどんな人たちだったのでしょうか? 

キリスト教の独創性のひとつは、「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という、ある意味では変態的、自虐的にも見える「愛」のあり方にあります。

十字架にかけられて殺されたイエスは彼らの罪を肩代わりしてくれた救い主であり、イエスのように迫害され、殺されることこそ神の国に近づく道であると彼らは信じていました。

自分が損害をこうむる、あるいは痛めつけられることに喜びすら感じる。この精神的なメカニズムは教団にとって迫害と殉教を布教のエネルギーに転換するエンジンとなっただけでなく、個々の教徒たちにとって幸福の源泉になったでしょう。自己犠牲や他人への奉仕、迫害・殉教が天国への道になるという、逆転・倒錯した価値観が、キリスト教徒の何者も恐れない行動を可能にしました。

彼らは弾圧・処刑による自分たちの死すら殉教という栄光と捉えていました。

この何も恐れるものがないということが、彼らの最大の武器だったと言えるでしょう。

古代ローマでどれだけ迫害され、信徒が殺されても、彼らが勢いを増していったのは、この逆転した価値観があったからです。

この価値観の転換は、改宗したローマ人の中でどのように生まれたのでしょうか?


価値転換が起きた状況


古代ローマは古代ギリシャから科学や理性、合理的な考え方を引き継ぎ、それを国家や社会の拡大に活用して成功することで、広大な領土を獲得し、繁栄を実現した国です。

多神教の宗教が生きているという意味では古代国家の伝統を引き継いでいましたが、同時に科学的・理性的・合理的なシステムを、古代国家としては画期的なレベルまで高めていました。

彼らの多神教的宗教は、他の民族を征服していく過程で、帝国の領土内に広がっていきましたが、国家・社会が拡大していくにつれて、統治のための制度・法律が発展し、宗教が持っていた価値観は社会から遊離し、理性的・合理的な判断が国家・社会を支配するようになっていきました。

それは多神教の神々が共存する世界ではなく、唯一の権力による絶対的に正しい制度・法が統治する世界です。

政治的・軍事的な重要課題の判断は、ローマの元老院を構成する有力貴族たちが合議制で決定するのが、元々のローマの共和制という政治システムでしたが、これが次第に機能しなくなり、ローマは皇帝による統治へと移行しました。

塩野七生は、ローマが共和制から帝政へ移行した理由を、領土が広大になって、決断を早くするために必要だったからと説明しています。それは間違いではないでしょうが、この説明だけだと、転換の根底にあるものを見逃してしまうことになるような気がします。

それは巨大化した国家を統治し、運営していくには、合議制によるいろんな意見のせめぎ合いではなく、単一の統治者、単一の正当性、単一のシステムが必要だったということです。


帝政がもたらしたもの


多神教の宗教は帝政移行後も存続しましたが、その中でローマ皇帝の権威は神格化されていきました。皇帝は現実世界の政治的な統治者でしたが、その現実世界の最高で唯一の統治者は、現実世界で一神教の神に近い権威を持つようになります。

現実世界では一神教的な統一的・単一のシステムが支配し、宗教的・文化的な世界では相変わらずの多神教が存続しているという状態が生まれたわけです。

しかも、現実世界の神である皇帝のそもそもの存在意義は、軍の最高司令官であるということにありました。これが帝政を不安定なものにしていきます。

初代皇帝アウグストゥスは内乱を勝ち抜いた天才的な政治家でしたから、最終的な勝利者としての権威を最大限に活かしながら、元老院と有力貴族層をうまく制御し、安定した政治を死ぬまで継続できましたが、彼とその後継者ティベリウスの時代が終わると、とたんに皇帝の暗殺や有力貴族による後継者の擁立合戦、皇帝にふさわしい能力を持たない皇帝たちの悪政などによる混乱の時代が始まります。

そして内乱が起き、軍の中から軍人皇帝が生まれるようになります。

このあたりの経緯は、古代ローマの先輩である古代ギリシャのアテネで起きたことと似ています。

ギリシャでは、優れた政治家だったペリクレスが統治能力を発揮して、アテネ国内とギリシャ諸国の同盟をまとめ、繁栄の時代を実現した後、統治能力で劣る政治家たちによって混乱が起き、戦争による衰退の時代に入っていきました。

ローマはアテネの失敗から学び、よりしなやかな政治体制を作り上げたおかげで、何倍も長い期間成長を持続することができ、大帝国を構築したわけですが、成長が限界に達した帝政初期を境に、アテネより大規模な混乱に悩まされるようになります。


精神世界に生まれた新しいニーズ


紀元1世紀から3世紀にかけてのこうした混乱の中で、おそらく伝統的な古代の多神教はローマ人の精神的な拠り所にはならなくなっていったでしょう。伝統的な生活や文化の領域では古い多神教が機能したでしょうが、そこからはみ出すような新しい社会的・政治的な領域がローマに生まれ、広がっていました。

強大化した帝国というシステムの中で、人間はあまりにも小さく弱い存在であることが意識されるようになったかもしれません。

古代人の精神的な世界では、個人というものが意識されることはなく、人間は家族・氏族・部族などの集合体であって、氏族・部族やその地域ごとに起源を持つ神々に支えられて生きていました。

しかし、科学的・理性的・合理的なシステムによる国家・社会が、それを統治する唯一の政治的・軍事的支配者である皇帝によって、あまりにも不安定なシステムになってしまったことで、伝統的な集合的意識とは違う意識が生まれていました。

それはルネサンス以後、いわゆる近代ヨーロッパの個人とか自我の意識ではなかったかもしれませんが、多神教が支配した古代の集合的意識とは明らかに異なる意識でした。

新しい意識には新しいシステムが必要になり、そのニーズに応えたのがキリスト教でした。


敗北を勝利に変える魔術


キリスト教がもたらした、多神教の人間的な神々ではなく、唯一絶対的な神がいて、現実世界だけでなく、死後の天界も含めてすべてを支配しているというビジョンは、不安定な状態にあったローマ人にとって救いと感じられたかもしれません。

彼らにとって多神教の神々は巨大化した帝国とその社会の中であまりにも無邪気でしたし、現世の支配者である皇帝とそのシステムは政治的に不安定でした。その点、現世で弾圧され、処刑されても来世で与えられる永遠の幸せと栄光を信じて、嬉々として死んでいくキリスト教徒は、ある意味無敵だと感じられたかもしれません。

古代の中では科学的・理性的・合理的で、軍事的・政治的に無敵だったはずの帝国が、そこに生きる市民にとって不安を与えるようになったとき、そこに生きるローマ市民にとって、キリスト教徒の、弾圧も処刑も死も恐れない価値観は、ある種魔術的な魅力を感じさせたかもしれません。

閉鎖的なユダヤ教徒と違い、キリスト教はあらゆる土地、あらゆる階級の人間を受け入れましたから、この魔術的な価値観の転換さえ受け入れれば、誰でも彼らの仲間になることができました。

何の力もなく、ただ人としての愛を共有して助け合い、正しく生きることによってあの世で永遠の幸福が得られるというビジョンしかないキリスト教団が、強大なローマ帝国の中で着々と仲間を増やし、社会の隅々まで組織を拡大していくことができた理由は、そういうところにあったのかもしれません。

迫害され、処刑され、死ぬことが「殉教」となり、来世で永遠の幸福を得る勝利になるという信仰には倒錯した心理・判断があります。この倒錯こそ、キリスト教の魔術でした。


閉じたユダヤ教と開かれたキリスト教


ユダヤ教徒が他民族や周辺の国家との軋轢と、そこから生じた国家の滅亡や流浪などの過酷な現実を、自分たちユダヤ人による罪とヤハウェによる処罰に置き換えたのに対して、キリスト教徒は逆転させた彼らにとっての「現実」を、外の世界に展開していきました。

キリスト教徒の逆転もユダヤ教徒と同様、自分たちにしか通じない価値観の中で行われたのですが、このユダヤ教徒がこの逆転した価値観を自分たちの中に抱え込んだのに対し、キリスト教徒は外の世界に彼らの価値観を解放し、自分たちの仲間を拡大していこうとしました。

そこにユダヤ教徒とキリスト教徒の決定的な違いがあります。

ただし、ユダヤ人が彼らの精神構造の中に、不安や恐れを創造に転換するシステムを生みだしたのに対して、キリスト教の場合、精神的逆転のメカニズム自体は独創的ですが、それによってキリスト教徒がユダヤ人のように、科学とか文化とか、何かを創造的に生み出すシステムは持っていないように見えます。

広大になりすぎたローマ帝国が東西に分割され、コンスタンティヌス帝が西ローマ帝国をキリスト教団に委ねて、自分は東ローマ帝国の経営に専念するようになった後、西ローマ帝国の建築を飾るレリーフ・彫刻が急に稚拙になった様子を、塩野七生の『ローマ人の物語』は紹介しています。そこに掲載されている写真には、古代ギリシャの写実的な美を受け継いでいた古代ローマの彫刻が、急に中世ヨーロッパのような素人っぽい工作に退化しているのが見てとれます。

たぶん、統治がキリスト教団に移管されたことで、それまで建築や美術を支えていた職人たちがクビになるとか、自分たちの技術が活かせる東ローマ帝国に移住したといった変化があり、キリスト教団が自分たちで建築や美術の製作を行うようになったのでしょう。

こうした分野では、キリスト教徒は古い多神教のローマ人より低レベルだったようです。キリスト教徒にとって最大の関心事は、もうすぐ来るはずのこの世の終わりまで正しく生き、あの世で永遠の命を得ることですから、現実世界での繁栄や発展、質の向上といったことにはあまり熱心ではなかったのでしょう。

そして、この文化的・技術的な質の低下は、キリスト教がローマ帝国を支配するようになったいわゆる古代末期から中世にかけて、千年近く続くことになります。


ユダヤ教とキリスト教、それぞれの「その後」


ユダヤ人の、常に自分を周囲との軋轢や不安定な関係に置こうとするメカニズムは、彼らを現実に向き合わせ、安定の中にいる民族ではありえない視点から、新しいものを創り出すことを可能にしました。

しかし、キリスト教徒の関心事は神による救済や天国であって、現世はあくまでかりそめのものです。

キリスト教が独創的で、ローマ帝国を乗っ取るくらい強力なシステムを持っていたのはたしかですが、それは現世に関わる独創的な創造を可能にするシステムではありませんでした。

そして、ユダヤ人が王国を建設することで堕落・変節したように、キリスト教はローマ帝国を乗っ取ることで支配構造を確立し、支配の装置になることで堕落していきました。

ユダヤ教徒は自分たちの王国が滅亡することで流浪の民になりましたが、このディアスポラによって民族としてのアイデンティティを維持しました。古代エジプトもギリシャもカルタゴもローマ帝国も滅びましたが、ユダヤ人・ユダヤ教は生き延びました。

一方、キリスト教は普遍的な宗教として民族を超えて広がり、古代末期にローマ帝国と融合し、中世にはカトリック教会として組織と権力を維持し、支配のマシンであり続けました。大航海時代以後はヨーロッパ勢力がグローバルに支配を拡大していくのに伴って、世界的な影響力を持つ宗教になりました。弱者を助ける互助組織としての性格と、慈善活動は近代まで残りましたが、ヒエラルキー型の支配は教会の本質となっていきました。

それは宗教としての変節、堕落と言えるかもしれません。変節し、支配の機構となったキリスト教は、ローマ帝国に広がっていった初期キリスト教の、革命的・創造的・魔術的なエネルギーを失っていきました。

疎外や弾圧は人と組織を鍛え、活力を与えますが、自らが支配する組織・システムとなったとき、その活力は消え、支配の活力がこれに取って代わるのです。


キリスト教、ユダヤ教の魔術、つまり古代においてそれらがもたらした変革とそのメカニズムに関する勉強は今回で終わりです。

近代への変革をもたらしたルネサンス、プロテスタントの魔術については、すでに紹介したので、魔術に関する勉強もこれで終わりとするべきなのかもしれません。

ただ、僕にとって最大の関心事は、近代以降つまり今の人類と世界にとって必要な変革と、それを可能にする「魔術」はどんなものなのかといったことなので、そうしたことについてはまだ考える余地があるような気もします。

とりあえず、しばらく休憩して、そのへんをゆっくり考えてみます。

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