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三千世界への旅 魔術/創造/変革58 非理性から見た人類史おさらい

原初の人類と非理性


まず、非理性がどんなふうに生まれ、世の中に作用するかを把握するために、非理性に焦点を当てて、人類史をざっと振り返ってみます。

『サピエンス全史』で見たように、人間、ホモサピエンスは他の動物から分岐、進化して賢くなり、意識の領域を構築するようになったときから、それによって組織とか手順、論理といったものを操り、共有できるようになり、他の動物や自然を手なづけ、活用するようになりました。それによって人間は組織を拡大し、農業を開始し、都市や国家を形成し、より多くの食料を獲得できるようになりました。

農業は狩猟・採集に比べると、作業の手順や組織、季節などによる天候の変化の把握と対応など、必要な仕組みが複雑で、そこには数理的な要素がたくさんあります。それは原初的な科学であるとも言えますが、古代の人たちはそれを科学自体ではなく、自然を支配する神々との交信や犠牲・捧げ物などのシステムと一体化して認識し、活用していました。そこに宗教が生まれ、神々とのやりとりを担う神官や王などの階級も生まれました。

狩猟・採集でも人間は組織を拡大したり、季節への対応はあったでしょうし、原初的な神官としてのシャーマンや、リーダーとしての部族長も存在しましたが、科学的なシステムは農業の発展と共に飛躍的に進化しました。メソポタミアの巨大な塔や都市、古代エジプトのピラミッドや神殿などの巨大建築は、農業による国家の拡大や、科学技術を含む宗教の発展があったことを教えてくれます。


科学と一体だった非理性


科学は宗教や政治などの仕組みと同様、人類が現実に対する対応を多様化・複雑化する過程で、認知し意識する領域の中に生まれ、発展してきたシステムです。科学の数理的な計算や合理的な仕組みも、元々は精霊や神々などと同様、モノとして存在する現実の世界を認識し、判断するために意識の中に生み出した架空の仕組みの一部でした。

たとえば古代エジプトでは、外科的な医学は正しくあの世で生まれ変わるためのミイラ作りの方法と不可分でしたし、天文学は正しく農業をするための占星術でしたし、建築学は巨大ピラミッドや神殿を建設するための技術でした。

数理的なシステムは人間にとって、元々宗教的・神秘的な仕組みの中にあったのです。
見方を変えると、非理性は科学的な思考と同時に生まれ、一体化された状態で育ってきたと言えるかもしれません。


科学を進化させた力


その後古代ギリシャから始まる古代後期から、ヨーロッパの近代に通じる科学や政治などのシステムが生まれ、それを受け継いだ古代ローマが領土を拡大していく中で、広い地域を統治する政治システムや体系的な法律、経済の仕組みが発展しました。

ローマ帝国が滅亡した後の古代末期から中世にかけては、キリスト教の原理がヨーロッパを支配し、ギリシャ・ローマ時代から退化した状態が続いたと見られていますが、政治的な分立状態の中で商業が発展し、ルネサンスから絶対王政・近世を経て、近代につながる科学と経済の時代が準備されたと見ることもできます。

近代以降の時代に生きている私たちは、科学と経済がリードする世界という価値観に慣れていて、古代や中世の宗教的な世界観を不思議と感じたり、古代ギリシャ・ローマの技術力に意外な先進性を発見したりするわけですが、自分たちが慣れ親しんでいる世界の科学や経済に、神秘主義的なものが潜んでいるとは考えません。

しかし、たとえば革命的な発明にかける科学者の夢や意欲はどうでしょう?

そこには意外と非理性的な力がポジティブなかたちで作用していたんじゃないかと僕は考えています。


意欲のエネルギーと魔術


蒸気機関やエンジン、電気モーターといった動力の仕組み、それらを使った機関車や自動車や船、飛行機などは、理論から導き出された技術で作られたものですが、理論通りに造ったらできたというわけではありません。それらが装置として実際に狙い通りに動くには、無数に発生する予期せぬトラブルをひとつひとつ解決していく必要がありました。

成功が待っているとは限りません。記録には残っていませんが、夢を追い続けて競争に敗れ、消えていった科学者・発明家もたくさんいたでしょう。勝者も敗者も含めて彼ら科学者・発明家を駆り立てたエネルギーはどこから来たのでしょうか?

科学に対する情熱・好奇心とか、成功者になりたいという野心・欲望とか、色々あるかもしれませんが、それは理性的なものでも、合理的なものでもありません。

カントは理性のはたらきの中に想像みたいなものを入れていますが、イマジネーションが理性の機能の一部だとしても、それを使ってまだ存在しない装置や仕組みを思い描き、創り出そうとするのは必ずしも理性的な行動とは言えないような気がします。

発明は革命的・独創的であればあるほどまわりから理解されませんし、世の中に認められる前の天才が狂人扱いされた例はたくさんあります。ガリレオ・ガリレイやコペルニクスは彼らが生きた時代の常識から見れば非理性・魔術側の人でした。

それでも夢を追ったり信念を貫いたりする科学者のマインドには、非理性的なもの、理論から直接導き出されないエネルギーがはたらいているように思えます。

『魔術的ルネサンス』と『磁力と重力の発見』を紹介したときに見たように、近代科学の進化が始まったルネサンス期に、時代を牽引した思想家や科学者たちが神秘主義を探求したのも、科学の創造的な発見や発明に、非理性的・神秘的な力が作用していると考えていたからです。


革命を可能にする狂気


革命的・革新的な発明は技術革新の始まりにすぎず、そこから膨大な数の科学者・発明家・実業家たちが次々との技術に改良を加えていき、ヨーロッパに産業革命と爆発的な経済発展を起こしていったわけですが、そこにはたらいていた意欲・エネルギーにも、科学的な夢や好奇心から事業的な野心、金銭欲、国家や社会としての成長拡大への欲求まで、様々な力がはたらいていました。そこにも理性や合理性だけで片付けられない非理性的なものが含まれていたように見えます。

大航海時代に未知の大陸や交易路を求めて船出したヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスなどの冒険家たちも、それぞれ科学的な理論や情報を元に行動したようですが、当時の航海は危険でしたし、現に難破や原住民との戦いなどで命を落としたり、栄養不良で病気になったり死んだり、船団内の抗争が起きたりして、航海自体が失敗に終わってしまうことも多々ありました。

成功者は新大陸の発見や新たな航路の確立によって巨万の富を得たり、彼らのスポンサーだった国の王たちは、原住民を征服して広大な植民地を獲得できたりしたので、モチベーションは十分維持できたでしょうが、そうした成功や栄誉はリーダーたちや国王・貴族階級のものであって、航海に参加した船乗りの多くにとって危険を冒す見返りはそれほど大きなものではありませんでした。

それでも多くの人たちが航海に出かけたのは、未知の可能性に賭けることがそもそも人間に備わっている本能のようなものだからです。


ホモサピエンスの拡張欲求


ホモサピエンスより早く繁栄を謳歌して滅亡したネアンデルタール人は、約30万年のあいだユーラシア大陸の西側にあたる広大な地域で暮らしていたようですが、ホモサピエンスは7万年くらい前にアフリカから中東・ヨーロッパ地域に進出すると、ユーラシア大陸の東側にも進出を始め、4万年くらい前に海伝いに東南アジアから今の日本列島や朝鮮半島、中国に渡り、1万数千年前に氷河期のベーリング海峡を渡り、南北アメリカに広がりました。

食料を求めて移動したのだと言われていますが、元いた地域にも住み続けていますから、食料を取り尽くしては土地を捨てて全員が移動したというわけではなく、人口が増えた分だけ新たな土地を開拓していったのでしょう。

見方を変えれば、人口の増加に対応して、あるいは人口を増やすために、一部が新しい土地へ進んで行きながら、生息する領域を拡大していったとも見ることもできます。


非理性的な開拓者精神


ネアンデルタール人が何十万年もヨーロッパに留まっていたのに比べると、ホモサピエンスの領域拡張はちょっと異常に見えます。日本列島などアジアの島々へは、後の時代に比べると貧弱な船で海を渡ったようですから、よほど勇気があったのか、宗教的な幻想に駆り立てられたのか、とにかくクレージーな開拓者のマインドがはたらいていたのではないかと考えたくなります。

アメリカ建国について考えたときにも触れましたが、17世紀にヨーロッパから北米東海岸に渡った人たちや、先住民を駆逐しながら中西部へ、西海岸へと領土を開拓していった人たちを駆り立てていたチャンス、可能性に賭けるマインドも、近代科学から産業革命を起こした人たちのマインドも、ホモサピエンスが遺伝子レベルで持っている、飽くなき可能性探究と拡張への欲求からきているのではないかという気がします。
たぶんそこに近代的な理性とか非理性の区別はないのです。


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