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何もない地元を愛している、という話。

群馬の県庁所在地、前橋で少年時代を過ごした。県庁所在地だから大きな街と勘違いされることがあるが、そんなことはない。市街地の商店街はほとんどシャッター通りで、中心駅には20〜30分に一度しか電車がこない。郊外の4車線道路に沿って駐車場を完備した商業施設が並んでいるような、日本各地にいくらでもありそうな風景が続いている。

6歳のとき、親の転勤で引っ越してきた。それから、小学校、中学、高校の12年間を過ごした。若者はみな都会へ出ていき、年寄りばかりが残っている。この街に、ティーンエイジャーの感性に刺さるものは何もなかった。前橋に対する郷土愛のようなものは感じていなかった。

18歳のときに上京した直後、ワンルームの天井を眺めながら思い出すのは、友だちや恋人と、遊び、ふざけ、怒られ、時に涙も流した、前橋での12年間だった。思い出たちが走馬灯のように右から左へと流れていく。その全てがあの街で展開してきたのだという、あまりにも当たり前な事実を噛み締めた。

帰りたくなった。赤城山や榛名山を見たい。利根川を見たい。あの大きすぎる県庁を見たい。何もないと思っていたあの街は、私の青春の全てを受け止めてくれた、紛れもない“故郷“だった。

本当は、前橋のことが大好きだ。心では愛していた。有名な観光地も、大きな駅やデパートもなくていい。日本中にいくらでもありそうなあの街が、寂れてどうしようもないあの街が、私にとっては、かけがえのない”故郷“なのだ。

#この街がすき 、というテーマを見て、前橋のことをどうしても書きたいと思った。だが、普段ろくに食べもしない郷土料理や、行きもしない名所を引っ張り出すことはしない。好きに理由はいらない。人を好きになるのに理由がいらないのと同じだ。わが故郷、前橋。何もない街だけど、#この街がすき

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