或る少年の殺される覚悟について

イカに流れる血は、青い。蟲に流れる血は、黄色い。体液といってもよく、人間としては理解できない生き物たちに等しい。蟲に人格を認める人間がいないように。

しかし、その少年は、蟲にもイカにも、もちろん人間にも、人格を認めていた。
個体としての権利。生きる喜び。それを認めていた。

「蚊を叩き潰す? そうか、きみはブタからみじん切りにされようと文句は言えないね」

「パンケーキをもう食べきれない? 写真が撮りたかった? そうか、きみは酸素のない世界が好きなのか。きみが愛情あふれる人間みたいに演出しているネットのなかでのきみ、きみ自身は、永遠にそんなものにはなれないね」

「ぼく? ああ。蟲は邪魔なら殺すしブタも食べるしパンケーキもどうしても無理なら食べ残すね。頭がおかしい? どうして。ぼくは殺される覚悟があるからそうしているよ。殺される覚悟もないのに、自分以外のモノを踏みにじるなら、ぼくはそれをきみに気づかせてあげてるだけだよ。それを、攻撃と思うなら、それは単にきみが心が狭いだけさ」

殺し、殺される。日本に住んでいようがブラジルやベネズエラに住んでいようが、同じ。少年にしてみれば。

生きているかぎりは、どこにいたってサバンナのどまんなかで争う動物と変わらない。この都市もサバンナと同じ。

この世界は、人魚姫の童話を憧れる人々が多いぐらいに、物語が語るモノと、実際のモノには『ズレ』がある。
だから、物語、ストーリーが好きなんだよね。少年はある日はそう言った。

またある日は、こう言った。

「殺す覚悟なんてとうぜんあるよ。毎日、ご飯を食べてるだろう? 殺しているじゃないか。殺しているよ。事実だ。ヴィーガンだなんて偽善はやめてくれ。植物を殺しているよ。ここはサバンナなんだ。ぼくたち、サバンナの獣と、なにも変わらないんだ」

世間は少年を気が狂っていると判断した。極端な思想すぎる、危険人物である、など。

ただ、一部は彼をカリスマと呼んだ。
一部は彼に熱狂した。少年は、たまに、そこに触れてSNSでそれについて感想を述べる。

「ほら、実際のところ、ぼくはサバンナの獣として生きてるみたいなもんだ。どんな大都会、田舎に住もうが、どんな服を着ていようが、ぼくらは獣なんだよ。サバンナのケモノどもさ」

き○がい、何を言う、リプライは地獄の窯のなかのようになる。少年は、それを魔女の窯を覗くみたいにして、ただ眺めるだけだ。

サバンナの獣たち、早く、殺し合いをすればいいのに。そう願いながら。
何事も自覚を持つことから始まるものだから。


END.

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