生きるために生きるのはただ生きるのとは異なるーー國分功一郎『目的への抵抗』(新潮新書)評

コロナ禍においてジョルジョ・アガンベンの発言が注目を浴びた。もっといえば批判された(炎上した)。ロックダウンは意図的に作り出された例外状態である。例外状態とは「行政権力が立法権力を凌駕してしまう事態」だ。法が法の適用されない領域を内包している事態。移動を含む個人の自由を制限するために「伝染病が発明」された、とアガンベンは言う。國分が取り出したアガンベンの論点は3つ、「生存のみに価値を置く社会」「死者の権利」「移動の自由の制限」。ただ生きる(生存)のみを目的とするなら、食事は単なる栄養補給で十分である。しかし、私たちは食事に栄養補給以上の「何か」を求める。それは「贅沢」であるかもしれないが、その生存以上の余剰が私たちの「生きること(生)」を構成する。移動を制限し、人を支配する行政権力は、私たちから「生」を奪っているのではないか。これが本書の前半、「哲学の役割 コロナと民主主義」の内容である。元は「高校生と大学生のための金曜特別講座」という東大の先生がオンラインで配信する講義シリーズの1つ。オンライン講義とはいえ質疑応答もあったようで、本書にもそのやりとりは収録されている。

本書後半は、「不要不急と民主主義 目的、手段、遊び」と題され、こちらもオンラインでの講義がもとになっている。アーレントの「目的とはまさに手段を正当化するもののこと」という指摘を参照しつつ、手段とは切断された「目的それ自体」とでもいうべきものは可能か検討している。筆者の『暇と退屈の倫理学』の続きでもある。目的ー手段は、目的によって手段が検証され、手段は絶えず目的達成のために最適化される。そこに「遊び」はない。が、それで良いのだろうか? この「遊び」はコロナ禍でお上から発せられ、すぐに人々も唱和した「不要不急」のことでもある。目的によってその効果が測定されない、不要不急の遊びは人間にとって必要なものではないか? アーレントの目的ー手段の指摘は『人間の条件』に書かれている。コロナ禍で「不要不急」を同調圧力が強いたのは、コロナ禍以前から、目的ー手段のモノサシが、例えばコスパやタイパといった言葉で人々に共有されていたからではないか。「もしかしたらコロナ危機において実現されつつある状態とは、もともと現代社会に内在していて、しかも支配的になりつつあった傾向が実現した状態ではないでしょうか」と國分は言う。コロナが危機を生んだのではなく、コロナが危機を露わにしたのだ。

目的ー手段は、リモート化によって促進された。私の本『ポストヒューマン宣言』のマトリックス論でも少し検討したのだが、マトリックスといった仮想現実空間は、設計者が目的をもって作り込むので、そこでの振る舞いはすべて手段として認識され、目的により絶えず検証される。『マトリックス』で主人公ネオたちは、マトリックス世界の外に出ることで目的ー手段のモノサシから距離を取り、相対化/対象化できるが、後半、明らかになるのは、ネオたちのアノマリー(異常)もまたマトリックス世界の正常化のための手段でしかないというものだった。作り込まれた世界では、どこに逃げようとも、目的がどこまでも追いかけてくる。「作り込まれた」というのがポイントである。もし、目的から逃れようとするならば、意図がない空間、作り込まれていない空間が必要だ。コロナ禍で推進されたリモート化は、現実世界の雑味(作り込まれていない雑多さ)をどこまで削減し、どこまで「作り込める」か試した壮大な社会実験でさえあったと、今となっては思う。

リモート化/オンライン化は、インターネットを媒介することで、すべて数値化されうる(実際に数値化されなくても)。数値になれば比較され、目的を達成するための手段として最適なのかどうか検証される。対面が前提の日常生活では気にしなかった些細なことが、リモート化/オンライン化した「世界」(カッコ付き)では、数値化されることで問題として認識される/認識されざるを得ない。テクノロジーによる恩恵はある。本書のもととなった國分功一郎の講義も、いまでもYouTubeで動画は公開されているので、タダで見ることができる。しかし、私たちはその恩恵と引き換えに何かを失っていないか。その失った何かを、恩恵と比較して、良かった/悪かったと言いたいのではない。失った何かとは、得た恩恵と原理的に比較できないものではないか、というのがアガンベンー國分の問いかけだ。コロナ禍真っ只中であれば、恩恵と喪失の比較を拒否すること、目的ー手段のモノサシ自体を拒否することは、非難された。バッシングされ、時に炎上した。コロナ4年目の今なら、少しは距離をとって、恩恵/喪失を比較するという構造自体がもつ根源的な問題を見れるのではないか。

それにしても。アガンベンの問題提起は鋭い。今やるのではなく、当時やったのが。

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