読んでも読んでも啓発されない自己ってなーんだ-ー牧野智和『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』(勁草書房)

(2022年3月13日シミルボン掲載の再録)

書店にいくと自己啓発コーナーを目にする。私自身は自己啓発書の熱心な読者ではなく、むしろほとんど読んだことはない。一種の麻薬のようなもので、読んでいる間はモチベーションが上がるものの、読み終わったあとには何も残らないのでは? とどちらかといえば批判的にとらえている。(実際に読んだことがないが、批判的なのは、なぜだろう…。)とはいえ、気になっているジャンルでもある。というのも、書店でのコーナーや新刊本の点数をみると、それなりの市場規模であり、著者も読者もけっこういるだろうからだ。どっぷり浸かってみたくはないが、どんな世界が広がっているのか知りたくはある。自己啓発について「啓発」してくれたのが本書、牧野智和『日常に侵入する自己啓発』だ。むっちゃ面白くて、読みかけの本はほうっておいて、読み切ってしまった。

筆者の膨大なリサーチと、ブルデューのハビトゥス概念を駆使した理論化によって、日本(や海外)の自己啓発「界」がどうなっているのか、知ることができる。まず、時に年代(や年齢)でくくられる自己啓発本を、男性/女性のジェンダーと20代・30代・40代と3つの年代でわけ、分析をする。見えてきたのは、男女の違い。女性向けは、様々なライフコースを前提としているため、基本的に自分らしさ志向がどの世代でもみられる。仕事でも、恋愛でも、結婚でも、美容でも、まず自分の気持ちを大切にすること。対して男性は20代30代と、簡単にいえば会社での成功を目指すよう自己の変革を迫る。凡庸な群れから脱し、蓄財ではなく一流品へ自己投資し、外部のせいではなく自分のこととして仕事に没入することを推奨される。面白いのは、40代になってキャリアラダーの上昇に限界が見えてくる人向けに、「仕事よりも自分」という言葉が(ようやく?)見えてくることだ。もちろん40代でも仕事での上昇を促す言葉もたくさんあるのだが。

男女の比較で見えてくるのは、社会(経済、具体的には会社)によって配分されるアイデンティティの格差が男女間であり、また男性においても世代間でこの格差があることだ。男性(男性向け自己啓発本の読者は、ホワイトカラー、正社員の働き方が前提とされることが多い)が「ヘゲモニックな男性性」獲得に向けて焚き付けられるのだが、この事態は「男性にはアイデンティティが補給されている」とも言える。

男性向けについて、仕事への没入度や、プライベートへの仕事の侵入度が以前よりも増しているという変化はあるものの、この30年間の自己啓発本は、男女ともに基本は同じ構造だと牧野は言う。

次に牧野が注目したのが、主に男性向けの手帳術本と、主に女性向けの片付け本だ。これらも自己啓発本の一種と言えることが、牧野の分析を読むと見えてくる。(風水のドクター・コパ論を私は初めて読んだ。)片付けといえばコンマリだが、コンマリは「どこまでオリジナルなのか?(彼女のユニークな点はどこか?)」という視点で、片付け(掃除、整理、整頓)のハウツー本の歴史化が試みられている。

私は自分の性格にむいていないのか、手帳を使ったことがないが、こんな世界(ブルデューのいう「界」)になっているのかと驚きである。なかでも糸井重里の「ほぼ日手帳」分析は秀逸だ。ある意味で、究極の手帳がほぼ日手帳で完成したのではないかとすら思えてくる。

他には、自己啓発の読者はあまり内容を覚えていないという話や、自己啓発と文化系部活は相性がよくないなんて話もあり、もっといろいろと紹介したいのだが、続きは本書でどうぞ。


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