フェミニストSF傑作5選

既存のジェンダー概念をゆさぶるフェミニズムをテーマとしたSFはたくさんある。男が消滅した女だけの世界を描いたジョアンナ・ラス「変革の時」、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」や、通常は性別がなく生殖可能な時期になると男または女に分化するゲセン人が出てくるアーシュラ・K・ル・グィンの『闇の左手』は海外SFの古典&傑作フェミニストSFである。(※ここでは、フェミニストが書いたSFをフェミニストSFと呼ぶのではなく、フェミニズムを主題にしたSFをフェミニストSFと呼んでいる。そしてフェミニストには性別は関係はないと思う。)

海外だけではなく、日本でも多くのフェミニストSFが書かれてきたので、この記事では個人的に傑作と思う5作品を紹介したい。(紹介する順番は、順位とは関係ない。)

①松尾由美『バルーン・タウンの殺人』(東京創元社)

人工子宮が普及した近未来。女性が自分の体で妊娠・出産することが少なくなった社会で、あえて妊娠・出産を選ぶ女性たちが、出産までの時を穏やかにすごすためた作られた特別区、通称バルーン・タウン。生活する人は妊婦と、妊婦を支える人たちだけのバルーン・タウンは、もっとも事件から遠いところに思えるが、殺人事件が起こってしまうのだ。外の世界からやってきた女性刑事とミステリ研OBの現役妊婦が、バディを組んで事件解決に乗りだす。
妊娠・出産が女性性から「切り離された」世界。それでも妊娠・出産をする女性たちは、自分たちの振る舞いを「より妊婦らしく」しようとする。さらに、妊婦の存在じたいが珍しいため、「犯人は妊婦」とまでは認識できても、「どのような妊婦か」まではわからない、というバルーン・タウンならではの「盲点」がある。

②田中兆子『徴産制』(新潮社)

若い女性の命を奪う新型感染症・スミダインフルエンザにより日本の男女比は不均衡になってしまった。若い女性の不足、その結果もたらされる少子化を止めるために、男性に性転換手術を施し、妊娠・出産してもらうという法律が可決される。「徴産制」の導入である。性転換できても、それまで作ってきた男の振る舞いがなくなるわけではないし、骨格を含めた身体が急に女性になるわけでもない。女となった男たちは「産役男」と呼ばれ、男友女とも違う存在になる。産役についた5人の男たちの様子が語られる。

③小野美由紀『ピュア』(早川書房)

荒廃した地球。遺伝子改変により超人的な身体・力を手に入れた女性たちは、支配階級として軌道上の衛星で生活をしている。地球に降り立つのは、生殖相手の男を捕食するときだけだ。捕食、というのは比喩ではない。文字通り、食べる。性交相手の男を殺し、食べることで女は妊娠できる。この世界も、男女比は圧倒的に不均衡で、男9女1である。マイノリティの女たちは、強く・美しく・そして獰猛である。彼女たちはエリート教育を受け、戦争をし、自分たちの祖先(それも男たち)が壊してしまった文明と環境のしりぬぐいをしなければならない。「産む性」であるが、彼女たちの心と身体は満たされない。内ではなく外に空虚を抱えて日々、生活している。

④松田青子『持続可能な魂の利用』(中央公論新社)

この世界から「おじさん」が消えたら? 「おじさん」とは言語的な存在だ。本質的に定義することができない(されていない)。性染色体や年齢によって規定されるわけではない。振る舞いが「おじさん」であれば「おじさん」だ。ある時「おじさん」から少女たちが見えなくなり、「おじさん」と少女たちの世界が別々に分かれた未来の話と、そこに地続きとなる現在の話が交互に語られる。「おじさん」が消滅した未来で、少女たちは「えらいね」と互いをほめあうのだ。

⑤新井素子『チグリスとユーフラテス』(集英社)

人類が植民した9番目の惑星ナイン。当初は、産めよ増やせとどんど人口が増えていったが、気が付けば子供の数が減っていった。様々な原因が疑われた。人工子宮を使ったからではないか。しかし自然妊娠・出産で生まれた子供なら大丈夫か、というとそういうわけでもない。宇宙放射線の影響だろうか? あるいはそもそもこの惑星自体が人類の繁殖を拒んでいるのか? 生まれる子供の数がへっていき、やがて「最後の子供」が生まれる。ルナと名付けられた彼女は、成長する必要がない(成長する機会が奪われた)子供だ。年老いて一人惑星に残されたルナは、不治の病のためにコールドスリープについた惑星の住民たちを一人また一人と起こす。起こされたほうは、自分の病気を治してもらえる未来で目覚めたかと思ったら、惑星植民の「最後の1ページ」に連れてこられてしまったのだ。そりゃあびっくりする。さらに外見は老婆なのだが、子供として振る舞い続けるルナが唯一の話し相手となる。ナインの歴史が、起こされた女性たちとともに、遡り語られる。

主に女性たちによる男性不在を欠如とみなさい共同体をフェミニスト・ユートピアを名づけ、その可能性を上記の5作品に加えて村田基『フェミニズムの帝国』(早川書房)で論じたのが「フェミニスト・ユートピアは(どこに)あるのか」だ。第9章として本書に収録されている。村田紗耶香や琴柱遥(ゲンロンSF新人賞)などまだまだ論じたい作家・作品もあったが、だいぶ長い評論になったので、次の機会に。


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