何事もきっと最初が大事
私は今卒業論文を書くべく、先行研究を読み漁っている状態です。
実験仮説を立てるために、
・何が今明らかになっていないのか
・明らかになっていないが、それを示唆している研究結果はあるのか
というのを調べている段階です。
っていうかそもそも立てた仮説自体に研究意義がないといけないのでそこも考慮しないといけないとなるともう頭がパンクしそうになります。
ただ、多分この段階がきっと一番重要なのかなって思います。
実験を始めてしまってから
「仮説をサポートする先行研究足りないかも」とか
「あ、これやっぱ意味ない。」とか
「この仮説ってそもそも自明じゃん」とか
気付いてももう遅い。
二度手間極まりありません。
これって他のことでも言えることなのではないでしょうか。
何か問題を解決する場においても、
問題の表面だけを見てこれすればきっと解決でしょ!ってなってもそれは根本の原因の解決には至っていないわけだからきっとその問題は再発するでしょう。
表面だけを捉えた解決手法じゃ意味なかったということです。
根っこまで抜かない雑草取りみたいなものです。
また生えてきます。二度手間です。
だから、論文読み漁って漁りまくってる状態は二度手間を防ぐために必要なことなのかなって思います。
『イシューから始めよ』を読んだ時に、
理想のイシューはどのような結果になってもその結果に意義があるようなもの、というように書かれていた気がします。
研究において言えば、仮説が支持されようが棄却されようが意味のある考察ができるという感じ?
そういうような仮説を立てたいですね。
正直、卒論は出したもん勝ちだとは思います。
単位さえくればまぁいいので。
ただ、ここは私の性格上やる時はやる精神が強く出てきてしまってあまり手が抜けません。
というか大学に通っているんだから最後くらい大学のリソース使い倒してちゃんと論文書きたいです。
自分で自分を追い詰めてるの変なのって感じですけど。
でもここがきっと踏ん張り時。
自分が納得できる卒論を書けるようにしたいと思います。
仮説決めるのなめてた。とっても大変です。
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