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推しを作る仕事

中秋の名月に良いことを祈ってください。アイドルやスポーツ選手、声優の方をびっくりするほど推す方が増えています。男性は鉄道や車やバイクにハマる方も。今は男性でも美容にハマる人もいます。ゲームも同様。沼というコトバも新しいですよね。

そんな私にも生涯少しだけ推し生活がありました。アイドルの本格おっかけは中一の「荒川務」からスタート。郷ひろみに続くアイドル。あいざき信也と城みちるとのあわせて3人で新新御三家と呼ばれていました。ナベプロの秘蔵つ子。デビュー曲「太陽の日曜日」は名曲です。荒川なのに北区の王子様。都内の人にしか通用しないわけのわからないキャッチフレーズも忘れられません。のちに海外留学して劇団四季のトップスターになられました。

中二からは「ずうとるび」。ずうとるびは笑点の子ども大喜利に出ていた子役の男の子4人が座布団が10枚になったのでその賞品として、当時の司会の南紳助の鶴の一声でレコードデビューが決まったのです。名前は、ビートルズをひっくり返してずうとるび。当時は現在の座布団運びの山田君がリーダーでした。全盛期の嵐くらい人気がありました。トップアイドル、キャンディーズと一緒に、レッツゴーヤングの司会をやっていたのでNHKホールの公開放送に毎週行き大興奮していました。残念ながらブームは1年しか続かず私も離れていきました。

高校を出たあたりからショーパブやライブハウスにも行き出しました。会えるアイドルの走りです。メジャーデビュー前のとんねるずやウッチャンナンチャンは最高に面白かったです。さらに永ちゃんとキャロルのコピーバンドが1日4ステージやる六本木の「シンガポールナイト」にはホントに通いました。最終日はみんなで号泣。永ちゃんのレコードよりここで永ちゃんを聞きました。通いました。

中年以降は韓国ドラマ。20年前に見事にハマりました。ハマり過ぎてやばかった。今も寝不足にならないようにドラマは避けて韓国モノは映画だけにしています。推しは「カン・ドンウォン」と「ピ」。以前は年8回ソウルやテグにロケ地巡りに行きました。2年位続けましたがあまりに時間がとられるのでやめました。

そして人生で一番ハマったのは高校からやった「麻雀」です。麻雀はやればやるほど奥が深く17時間とかは平気にできちゃうのが怖いです。歳をとったらもっとやりたいと思っていましたが、20年位前に卒業しました。好き過ぎて終わりがわからないからです。

スキーも25歳から30歳まではかなり行きました。ずっとハな字のレディーボーゲンでしたが、毎冬、正月からゴールデンウィークまで、週末にみんなでドライブするのは楽しかったです。ゴルフ屋ハワイも人並みにやりました。

小学生からユーミンを好きになり早50年。これはおっかけというよりはもうライフワーク。無趣味で今は推しはいなですが喫茶店巡りと散歩の自然観察は22年続けています。

仕事では食とヘルスケアの商品の推しをどう作るのか、最初にどこから入るのかを時代に合わせて変化さらながらやっています。買いたい空気や推したい空気を作るのは楽しく難しい仕事だなと自分の経験を振り返り心から思います。



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