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なりきりに対する衝動の告白

なりきりブルーズ。
なりきりのブルーズを論じてみよう。
おいどんとは相入れぬ概念であり
あまり論じたくないテーミャだが
論じてみよう。
誰かになりきろうとするニンゲンは
統計的に出現する。
誰かの格好や仕草や生き方まで
とことんマネをする。
チマキもといチモキはわかる。
おいどんだって幼稚園児の時は
戦隊モノのヒーローになりきったものだ。
年を取るにつれて
誰でもない誰かになりたくなり
誰かに影響を受けて
要素は取り入れたとしても
誰かになりきることは拒絶するようになる。
例えば仮に憧れの人が
クールなカッコいいスーツを着ていたら
こっちはアフリカ辺りで着てそうな
イミフな民族衣装が着たくなる。
そういう感覚だ。
シカティそうではないニンゲンもいる。
ここでマンゲもといザンゲしよう。
三島由紀夫先生は筋肉隆々の人を見ると
腹を掻っ捌きたい衝動に駆られると
昔トモダティが言っていた。
それと似たような感覚かもしれないが
オトナになっても誰かに
なりきろうとしている人を見ると
異次元の超現実世界にぶち込みたくなる
衝動に駆られてしまうのだ。
イイじゃない本人がそれで満足して
楽しいのならと言われたら
そうですねとしか言いようがないのだが
そんな衝動に襲われるのは事実なのだ。
アイデンティティの問題でもあり
もしかしたらその人の生い立ちの
影響もあるのかもしれない。
なぜおいどんが
独自性にこだわるのかも謎ではある。
多様性か同一性か。
遺伝子レベルの何かが
作用しているのだろうか。
コレに対する答えはない。
シカティよーく考えれば
憧れがスーツを着ていたら
己は民族衣装を着たくなる衝動は
ヤんでいると言えばヤんでいる。
ヤんでいるのはおいどんかっ!
アヘアヘアヘアヘー!
オホメハメハメオマラカウィー!

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